諸行無常なる日々。或いは鬼渡神と神々の源流。

呪われた家系を生きる私の人生観や日常。それに立ち向かう為の神道的な考え。そして因縁の鬼渡神、神々の源流について考えます。

宗教に縋る生き方は楽でよいが、死んでからその宗教が誤りと知り後悔するのが恐ろしい。

2021年05月24日 15時10分15秒 | 人生
エヴァ○ゲ○オ○なる大人気テレビアニメがあります。人気過ぎて近年、新解釈の劇場版映画が出たくらい。

このアニメはキリスト教を題材にしています。キリスト教と言っても独自の解釈をしている「エ○バの○人」の世界観ですが。

最近、このアニメの原作者の特集を見ました。驚きました。この方の父親も片足を失っていた事に。

原因は林業をしていて、仲間のミスで片足を切断したそうです。

「ぼっちキャンプ」のヒロシの父親も炭鉱で片足を切断している。

私の父方の祖父も列車事故で片足を切断。その後、違う血液を輸血され亡くなっていますが、頼りたい父親が障害者になると子供は誰にも頼れない。自分で判断するしかない。どうやって生きて良いのか分からない。生きるのが怖くなり、精神が崩壊する。世の中を恨みたくなる。そして宗教に縋りたくなると思います。

エヴァ○ゲ○オ○の原作者も新興宗教である「○ホ○の○人」に縋った。

彼は母親も若くして亡くしていた。

彼が「エ○バの○人」を信仰したのは、90年代に亡くなった人が生き返り戻って来る教えがあったからだとの話しです。

〇ホ〇に縋れば母親は生き返る。そう信じていた。

そして約束された復活の日。

何も起こらなかった。誰も生き返らなかった。「エ○バの○人」の教えは間違っていた。それで「エ○バの○人」から信者が大量に離脱した。彼も離脱したと聞いています。

それでも「エ〇バの〇人」に留まった者もいる。約束された復活の日は計算違いで、まだ早かったと解釈して。

私ならそんな風には割り切れない。離れると思う。それは神ではなく、人の解釈ですから。

エ○バの○人として「大丈夫、生き返れる」と信じて死んで、生き返えれなかったら神に騙されたと悔やむ。そこまで生に拘っていたら。永遠の命が欲しいのであったら。

さて、ここからが問題。

私も神に縋りたかった。どうやって生きて良いのか分からない。誰も私に生き方を教えてくれる者がいない。神に縋れば生きて行けるのではないか。

幼稚園、中学、高校、大学とプロテスタントだったので、キリスト教に縋ってみようとした。でも、疑問にぶつかってしまった。

キリスト教を学問として学ぶとキリスト教から離れると言われてます。イエス・キリストのモデルの姿がチラつく。キリスト教が政治利用されている。キリスト教の結果も知った。戦争兵器だと確信した。

現世でそう言う答えを出した訳だが、答えを出す前にキリスト教を信じて死んでしまったら辛い。凄く後悔する。自分の信じた人生が間違っていたら、誰だって後悔すると思う。

仏教の場合はどうか。

私には難し過ぎて現世で仏教は理解出来そうもない。それに信者を増やす為に神道に寄った事に疑問が残る。分からないまま仏教徒を続けるしかない。仏教の墓に入れて貰う為に。

そして死んでも仏教は理解できそうも無い。煙に巻かれたまま、あの世に留まっている感じがする。

神道ではどうか。

うーん、答えが出ないだろうな。神道は宗教ではなく生活。そして人生だろうから。

神道の神は「あーしろ、こーしろ」言わない。だから何をどう信じ、どう行動して良いのか分からない。神道の神は人の心に判断を任せている。これではとうやって生きて行って良いのか。

神道の神は罪を犯す。反面教師なのだが、人に代わって罪を犯して自身に報いを受ける。だから神が犯した罪を自分は犯さない。それだけは守る。それしかない。その程度なのだ。

だからこそ死んでからも後悔しないのではないか。神道は神に責任転換が出来ない。イエスのせいにもブッタのせいにも出来ない。人生は自分の判断だから。

でも、本当は信じる対象が欲しい。その神を信じ、神の指示通りに生きて行ければ楽だと思う。不安無く生きられる。素晴らしいと思う。

神に従って生きる。神の為に生きる。本当に神が信じられるなら、人生に悩む事は無い。生きる意欲も湧く。だから私は宗教を否定しない。信じられる神がいればの話だが(言っている意味がお分かりでしょうか)。

ただ、私は疑問点が浮かび、その答えが出ないから信じられないだけだ。本当は信じたいのだが。

それが悪だと言うなら、悪なのだと思う。

「貴方は神を信じますか?」。

信じさせてくださいよ。


ではでは。



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