続きです。
大山咋主と言う名前に私、疑問を感じています。
「大山に杭を打つ神」。山は神域です。霊場です。その山に杭を打つ神。それは天津罪を犯している。
神社とは本来、山と里の境界線である麓に鎮座していました。神域である山に足を踏み入れてはいけない。古代にはその考えが間違いなくあった。だからこその神社なのです。
しかし、人口の増加により縄文時代の食生活では暮らせなくなった。山を切り崩し田畑にする必要が出て来た。神域が狭まられた。
更には修験道が発生した。
修験道は神域である山に踏み入り、修行により神秘的な力を得る宗教です。
仏教伝来とともに中国の道教・儒教も日本に伝わった。それらが日本の神道と民俗信仰に加わった。
宗教はせめぎ合います。自分達の優位性を主張します。それで修験道・密教は山に足を踏み入れ修行した。それにより験力を得られたとしています。
修験道の創始者は役行者です。彼は多くの超能力を民衆に見せつけ、修験道を興隆させた。悪魔祓い、厄払いを民衆に施し、民衆からの信仰を集めた。
その反面、大半は悪質なイカサマであったのも事実です。田沢湖の本来の辰子伝説もそうですが、その修験道の力で民衆を脅し、権力と財を手にしていたのも事実です。民衆は彼らの呪術を大変恐れたので。
今の詐欺ヒーラーみたいな奴も修験者には大勢いたのです。
人は生きる為に田畑を造る為、仕方なく神域である山を切り崩した。
しかし、修験道は神域である山に修行として入る。そして山の頂上にも祠を建立した。
それにより神道の上を目指した。お堂に籠って修行する仏教を軟弱として卑下した。
私はこの行為、信仰と言える反面、神域を犯している大罪だとも思えます。
事実、修験道の呪術は武力の面も持っている。呪術合戦で戦の前哨戦を行った。神を兵器として扱っている。それは神道からすれば本来の神の存在を曲げている。
私は役行者の従者である前鬼・後鬼は仏教では弁才天。神道では前鬼は金山彦命、後鬼は金山姫命と考えていますが、宗教間で優劣を付ける行為は稚拙な人間がすることだと思います。
その後、修験道は明治時代に入っての神仏分離令により廃止されています。
それでも修験道の残党や修験道を信仰する者は、真言宗醍醐派や天台宗に流れた。
天台宗にスピリチュアルな匂いがプンプンするのも、修験道の香りが残っているからだと思います。
続く。