続きです。
大鏑神社の伝承ですが、ウキペディアによると下記の通りとなります。
時は後三年の役、安倍元首相の家系に当たる安倍貞任を討つべく源義家が福島県の安積地方を通ったところ、大蛇が暴風雨を起こし現地の人々が大変困っていた。
義家は家臣の鎌倉権五郎景政に大蛇退治を命じる。
景政は5本の鏑矢を射る。5本の矢の内の1本が大蛇の頭に命中し、大蛇は絶命した。
安積の農民は景政に感謝し、2本目の鏑矢が落ちた地点に御霊宮を建立し、その霊を合祀し、村の安全を願ったのは大鏑神社の始まりとの事です。
ここで注目したいのは大蛇を討った鎌倉権五郎景政ですね。私的には。
この景政の正式名称は平景政です。桓武平氏の流れの様です。つまり私の家系です。
暴風雨を起こしていたとしても大蛇は神なのです。その神を殺したのが私の家系。嫌になりますね。
源義家は勿来の関にも騎馬像があります。福島県にとって義家は英雄とされています。だからこれと類似している話は福島県に多く存在しています。
さて、大鏑神社に祀られている神は天知迦流美豆姫と大山咋主なのであります。大蛇退治を感謝して義家や景政を祀ってはいない。
つまり大鏑神社には退治された大蛇が祀られている。祟りを恐れてである。
大鏑神社の祭り神は天知迦流美豆姫、大山咋主。つまりこの二柱が大蛇なのだと言えます。
っと言いたいところですが、源義家は陸奥守なのである。従わない奥州の安倍氏と戦っていたのである。っとなると大蛇は安部氏と考えられる。
源義家は朝廷の命にる奥州征伐を行った。それは侵略戦争と言える。安倍氏は奥州を守る為に戦った。非は朝廷側である源義家にある。
それを正当化する為にはどうしたら良いか。
それには敵を悍ましい大蛇とした方が民衆には分かり易い。
ねぶた・ねぷた祭りだって同様です。
奥州を守る為にアテルイら蝦夷は朝廷軍と戦った。そして坂上田村麻呂の軍勢に敗れた。
この戦いも侵略戦争です。下らない奈良の大仏に金箔を貼る為に、奥州の金を欲した朝廷が起こした侵略戦争と言えます。罪は朝廷軍にある。
それを否定する為に朝廷側は蝦夷の兵士を鬼とした。
鬼は悪である。だから成敗した。それで蝦夷討伐を正当化したのです。
そう考えると大蛇の正体は安部氏側の兵士ではないのか。
では何故、大鏑神社に天知迦流美豆姫と大山咋主を祀っているのか。
それは安部氏が天知迦流美豆姫と大山咋主を信仰していたからだと考えられます。
続く。