諸行無常なる日々。或いは鬼渡神と神々の源流。

呪われた家系を生きる私の人生観や日常。それに立ち向かう為の神道的な考え。そして因縁の鬼渡神、神々の源流について考えます。

天知迦流美豆姫を祀る大鏑神社を考察する。その14

2023年08月29日 08時46分59秒 | 神道
えっー長くなってしまいました。私、計画性が不十分で考えながら書いていますので、何時もながらシドロモドロになってしまっています。どうやって落とそうか考えながら続きます。

手長足長は悪神。会津磐梯山の手長足長は暴風雨を起こす。そして磐梯山は活火山。200年近く前にも大噴火して、川が堰き止められた。それで誕生したのか檜原三湖である檜原湖、小野川湖、秋元湖、五色沼等々その他もろもろの湖沼群です。

鳥海山も活火山です。其れなのに頂上に鎮座する大物忌主は豊受大神、或いは倉稲魂命とされるのか。

それは本来の弁才天像で説明が付きます。弁才天像と言ったたら、半裸状態で琵琶??を持った鎌倉の弁才天を思い出すでしょうが、本来の弁才天と言うか、江戸時代初期の弁才天像は複数本の腕に武器を持った武神です。

武神故に敵を弁才天を通して呪い殺す信仰がありました。それで源氏も平家も同じ弁才天で呪い合戦を行い、共に滅んでいます。

この初期の弁才天の像の頭には老人の姿をしたダキニ天が鎮座しています。つまり弁才天とダキニ天は同神です。私的にはアラハバキ神の信仰が隠されて弁才天・ダキニ天に引き継がれて信仰されていると考えております。

ダキニ天は稲の神です。そうなると豊受大神、倉稲魂命にも通じる。そして大物忌主と考えられる瀬織津姫のルーツにもアラハバキ神の存在が見える。更に鳥海山には手長足長が現れる。

その点を網羅して考えると「大物忌主=瀬織津姫=手名稚命=手長=アラハバキ神」と考えられます。

そう考えると荒雄川神社に大物忌主、瀬織津姫に並んで素戔嗚尊が祀られているのも納得が行きます。大物忌主であり手長でもある瀬織津姫は、素戔嗚尊に調伏されているのです。

「怨霊には武神、仏教、乱暴者(素戔嗚尊)」。

怨霊と言える会津磐梯山の手長足長は空海(仏教)に調伏された。

暴れ川である荒雄川神社の大物忌主でもある瀬織津姫は、乱暴者(素戔嗚尊)によって調伏されていると考えます。

ここで疑問。大物忌主が瀬織津姫であるなら疱瘡神でもある大物主は誰なのか。

大物主は饒速日尊と唱える人が大勢います。そして鳥海山にも饒速日尊の伝説が残っています。

会津磐梯山同様、鳥海山の手長足長は空海によって調伏された。空海が去った後、役行者が遣って来て大物忌主神社を建立した。その鳥海山に鷲に乗って饒速日尊が降臨したと言う伝説です。だから鳥海山と名付けられたと言うのです。

順番は分かりませんが、大物忌主は饒速日尊との説も存在します。

でも、ちょっと不審点があります。

「饒速日尊」。その名の意味は「早くに従属した太陽の神」と言う名前なのです。従属したと言う事は天津神では無く、日本の地主神である国津神である筈です。そうなると猿田彦尊と被ります。

でも、本当に従属したのだろうか。従属しても苦渋の選択だった。故に天皇家に深い恨みを持っていた。そう考えると崇神天皇時代に半分の日本人を疱瘡で殺した大物主がイメージされる。「大物主=饒速日尊」説もある訳だし。

そうなると大物主と大物忌主は饒速日尊と瀬織津姫になるのだろうか。


続く。


コメント
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