諸行無常なる日々。或いは鬼渡神と神々の源流。

呪われた家系を生きる私の人生観や日常。それに立ち向かう為の神道的な考え。そして因縁の鬼渡神、神々の源流について考えます。

織田信長、豊臣秀吉、明智光秀の首が残っているとしたら、日光東照宮にあると思える。その3

2023年12月08日 16時19分56秒 | 永井直勝
続きます。

地元仙台・伊達政宗の軍師??、片倉小十郎はどうか。

伊達政宗は非情な面はあるが、敵方だった真田信繫の娘を匿っている。その娘は片倉小十郎の側室となった。つまり真田信繫の血は仙台で繋がれています。

その片倉小十郎と真田信繁の血を受け継いだ宮司と面識があります。大変清廉な方です。自分の祖先である真田信繫には良い感情は持っていないみたいでした。ご自身を人殺しの家系と呼んでいました。

片倉小十郎は天然痘で目が飛び出たままになった伊達政宗の目を、短刀で抉り出した。これは信頼関係が無ければ出来ません。私だったら恐ろしくてどっちも出来ません。

片倉小十郎は心身共優れていた人物だから、幼少の政宗は自分の目を抉らせたのだと言えます。

伊達政宗は小田原征伐に遅れました。それは政宗派と弟・小十郎派で伊達家が分断していたからです。お家騒動にあったのです。

歴史では政宗の母・保春院が小次郎に家を継がせたいが為、政宗の食事に毒を盛って殺そうとしたとなってます。

それが原因で弟の小次郎を政宗が殺したとされていますが、それは嘘だと確信しています。

政宗、小次郎、保春院、そして小十郎が相談して小次郎を殺したことにしたと思えます。小次郎の存在を消したことで伊達家を一つに纏めた。

勿論、小次郎は生きています。小次郎も納得し、住職としての人生を全うしています。

先ず間違いないと思います。政宗と保春院との関係は最後まで良好でしたし。

そんな事があり小田原征伐に遅れた。

政宗も秀吉に屈したくなかった気持ちもあったから、判断に苦慮して遅れた部分はある筈です。それを説得したのは小十郎でしよう。

そして小十郎は秀吉の性格も良く知っていた。政宗が死に装束で小田原に駆け付け、秀吉に恭順を示して喜ばせ処罰を免れたのは、小十郎のアイデアだと思います。

秀吉を嫌っていた政宗は、そんなしおらしい真似なんて自らは出来ないでしょうから。

実はその4年後、その死に装束戦法??をパクって、命を長らえた者がいます。私の家の宗家である永井直勝です。

歴史通は永井直勝を幸運な人生を送った人物と言うでしょうが、とんでもないです。永井直勝程、戦国時代に翻弄された者はいない。

何度も不運を体験した。本当に運が悪い男。それでも自分の人生を乗り切った。仁義礼智で生き抜いた人物だと私は断言します。

身贔屓な面は否定しませんが。


続く。



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