諸行無常なる日々。或いは鬼渡神と神々の源流。

呪われた家系を生きる私の人生観や日常。それに立ち向かう為の神道的な考え。そして因縁の鬼渡神、神々の源流について考えます。

織田信長、豊臣秀吉、明智光秀の首が残っているとしたら、日光東照宮にあると思える。その5

2023年12月11日 18時37分34秒 | 永井直勝
続きです。

ここで話はまたまた脱線します。石川数正が何故、豊臣方に走ったかです。予め語っておきます。

あんな「どうする家康」の話が信じられては、たまったもんじゃないので。

先ず最初に当時の徳川家ナンバー1は、家康ではありません。家康はお飾りとまでは言いませんが、徳川家の象徴と言って良いと思います。

徳川家の実質的ナンバー1は酒井忠次です。そして酒井忠次は織田家に付くことを主張した。

松平信康の妻は織田信長の娘・五徳姫ですから、築山殿と仲が悪かったのは間違いないでしょうが、五徳姫の密告書で信長が信康に自決を求めることは有り得ない。

信康は信長の娘婿なのです。真相がハッキリと分からないのに、徳川家を敵に回す事はしない筈です。

徳川家は武田側と織田側に別れた。武田側に付くことを主張したのは当然、築山殿と信康。そして石川数正。

織田方に付くことを主張したのは酒井忠次と消極的に賛成した家康。

石川数正は築山殿と信康の後見人と言えます。今川家に人質になっていた二人を数正は連れ出したのですから。だから築山殿・信康側に付いた筈です。

しかし、家康は決心した。織田側に付く事を。そして信康を自決させる事を。

その証拠ですが、秀忠の幼名を竹千代とした。家康の幼名も竹千代。竹千代の幼名は徳川家の主君を示すものである。だから信康の幼名も竹千代だった。

それなのにである。信康が生きているのに家康は秀忠の幼名を竹千代とした。竹千代は二人も必要ないのにである。つまり信康は消すつもりだった。

信康を廃嫡する手も考えただろう。でも、それでは三河方の信康擁護派は徳川家から離れる。信康には死んで貰わなくてはならない。

そして家康は信長にお伺いを立てた。「信康を自害させて宜しいですか」と。

信長は徳川家には口を出せない。口を出したら煩く思われる。徳川家臣団から憎まれる。武田側に靡く徳川家臣が出る。信長は「良きに計らえ」と言う他は無い。

ここで注目なのは家康は信長に築山殿を殺害する旨は語っていないこと。「五徳姫の義理の母も殺しますよ」とは言って無いのである。

それなのに家康は築山殿の首を刎ねた。これは徳川家を二つに割った張本人の築山殿への処罰と言える。家康は築山殿を憎んでいたと思われる。

信康に対してはどうか。

私は「逃げるなら、逃げても良いよ」と家康は思っていたと考える。現に幾つも幽閉地を変えた。その中には永井直勝の実家である大浜の屋敷も含まれる。

長田重元と永井直勝なら逃がすのではないか。そう期待していたと思える。

永井直勝はどう思っただろう。信康を逃がしたらお家断絶は当然。一族郎党処刑されるだろう。それを知っていて信康も逃げなかったのではないか。

信康が自決した時、多くの小姓らが殉死した。しかし、直勝は殉死しなかった。

多分、直勝の才を惜しんだ信康が止めたのだと考える。

直勝に生きて徳川の行く末を見て貰いたい。織田側に付いて良かったのか、武田側が良かったのか見極めて欲しかった。

だから信康は直勝の殉死を諫めたのだと思う。


続く。










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