続きです。
池田輝政と督姫は結婚。その後、徳川側で池田輝政と徳川家臣団との対面の会が設けられた。その徳川家臣団の中で白い死装束の者がいた。
輝政は「あの者は誰か」と周りの者に尋ねる。そして知った、あの男が父の仇・永井直勝であると。
輝政は居ても立ってもいられず、直勝の正面に立ち座した。
輝政は「貴公が永井直勝殿であるか」と聞く。
直勝は「如何にも」と応える。
輝政は尋ねた。父・池田恒興の最後を。
直勝は応えた。「小牧長久手の戦いは激戦でした。恒興殿は既に、安藤直次の槍を受けていた。直次は万千代と叫び自分の事だと勘違いして駆け寄り、恒興殿と一騎打ちとなり申した。私は恒興殿の十字の槍で左人差し指を落としながら辛くも勝利した。恒興殿は首を取って手柄にせよと言われた」と。
輝政は暫し黙って考えた。直勝の話には嘘は無いだろう。それは直勝の欠損した左人差し指が証明している。父は最後まで全力を出して戦い敗れた。武士としての本懐を遂げたのだ。
父・池田恒興は49歳。体力的には下降を辿っていた。それでも父は、手負いでありながらも正々堂々と武将らしく逃げずにこの若い永井直勝と戦い敗れた。武士として恥じる事のない死であった。
永井直勝は死装束で自分の目前にいる。死を覚悟している。直勝もまた武士として正々堂々と父・恒興と戦った勇者ではないか。その者を父の仇として殺して良いものか。
それにしても自分の存在をどう考えたら良いのだろう。
小牧長久手の戦いは父・恒興が仕えていた織田信長の子・織田信雄のたっての依頼で、徳川が信雄に与力した戦いだった。本来の仇は織田信雄であるのだが、信雄は早々と秀吉に恭順した。情けない武将だ。そんな男の為に父は命を落としたのだ。
しかし、世間はそうとは取らない。父・恒興は永井直勝に。兄・元助は安藤直次に討たれた。弟・長吉も負傷し、義兄の森長可も討たれた。自分の仇は徳川家と誰もが見ている。
その徳川家康の婿に自分がなる。
父・恒興はどう思うか。兄・元助はどう思うか。池田家は天下の笑い者。私は軽蔑の眼差しで見られている。自分が本当に情けない。これで武将と言えるのか。
目前の永井直勝は死装束で自分と対峙している。父の敵として自分に討たれるつもりでいる。
永井直勝をこの場で討てば、池田家の面目も少しは立つであろう。
しかし、この直勝は正々堂々と父と戦った男なのである。討ち死には恥ではない。恥なのは家康の婿、秀吉の養子の立場で直勝殿を討つ自分では無いのか。
輝政は聞いた。父の首の所在を。
直勝は答えた。「我が屋敷の庭に池田神社を建立し、恒興殿の首をご神体としてお祭りしています。父上の鎧は我が寝所に置いております。恒興殿の名刀「笹の雪」は我が家の家宝としておりますが、お返ししたいと思います」と。
直勝は父・恒興を自分の守り神として祀ってくれている。その想いで自分の穢れが晴れた気分になった輝政は、「それには及びません。笹の雪はこれまで通り直勝殿がお持ちください」と答えた。
輝政は直勝に魂を清められた。父・恒興は武士の中の武士に討たれたのだ。父の名誉は守られた。その礼として輝政は「笹の雪」をそのまま直勝に預けた。
それは直勝を心から許したと言えるだろう。
続く。