諸行無常なる日々。或いは鬼渡神と神々の源流。

呪われた家系を生きる私の人生観や日常。それに立ち向かう為の神道的な考え。そして因縁の鬼渡神、神々の源流について考えます。

織田信長、豊臣秀吉、明智光秀の首が残っていたとしたら、日光東照宮にあると思える。その1

2023年12月05日 18時27分41秒 | 永井直勝
映画はまだ観ていませんが、ビートたけし監督主演の「首」に興味があります。

私、結構残酷シーンに弱いので、観たい気持ちと観たくない気持ちが交錯していますが、本当の戦国時代はビートたけしの「首」の方が近いと思えます。NHKの「どうする家康」なんか、「おままごと」と言えるのではないでしょうか。

神や主君に比較し下人の命は軽い時代だった。生きている道具に過ぎない。武将になってこそが人間。

だから「あんな感じなんだろうな」と思うのですよ。史実を無視した「どうする家康」を観てしまった後には。

この話、今まで何度かしていますが、私の家の宗家である永井直勝も小牧長久手の戦いで、敵将・池田恒興の首を取っています。そしたら敵も味方も直勝に襲い掛かった。

敵は当然、大将の首を取り戻す為。味方は手柄の横取りです。それはもう地獄絵図です。

永井直勝は池田恒興の十文字の槍で左一刺し指を落としたとされていますが、手柄を横取りしようとした徳川方の蜂谷何某によって切られたと言う説もあります。敵将の首を上げるのに皆狂っていた時代だと言えます。

因みに首実検の時、直勝が指を怪我している事を知った家康は、事実を知り蜂谷何某に対して「卑怯者」と罵倒したとの話もあります。勿論、一説の範囲ですが。

だから映画「首」は実際の戦国時代に沿った映画だと確信していますが、私、映画館に足を運ぶことはありません。貧乏だからと言う事もありますが、半年待てばamazonプライムで視れるので。

私、映画は要所、要所を巻き戻して再確認し、その意味を噛みしめて考えながら視るのが好きなのです。味わって視たいのです。

映画館ではそれが出来ない。私の場合、映画館では映画が楽しめない。だから半年後に「首」を観るのは、嫌な部分はありますが楽しみなのです。

っと言う事で私はまだ「首」を視ていません。プロモーションのCMしか視ていないのですが、ご存じでしょうか。ビートたけしが演じる豊臣秀吉の首もまた行方不明と言う事を。

信長の首は本能寺の変でも見つからなかった。

光秀の首は首塚と胴塚が京都に有るので、そこに埋まっている可能性はあります。

しかし、光秀ほどの者の首が、道端??にあるような塚にそのまま埋葬されているとは考えにくい。そこに埋まっていたとしても、どこかに移されたと考えます。

あっ、説明し忘れていました。秀吉の首に付いてですが、秀吉の墓はあるのです。

しかし、掘り起こしてみたら首は無かったのです。多分、一緒に埋葬されていた筈ですが、誰かに持ち去られたのでしょう。

それが出来る人物。一番怪しい人物は誰か。

私的には徳川家。徳川家康だと思えます。そうとしか考えられないです。


続く。
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