続きです。
蛆だらけの姿を伊弉諾尊に見られた伊弉冉尊は怒り心頭になる。伊弉諾尊はその姿に恐れをなし逃げ出す。
伊弉冉尊は黄泉醜女達に命じて伊弉諾尊を追わせる。葡萄、筍、桃等々を投げて醜女達を足止めし、逃げる伊弉諾尊。
伊弉諾尊がこの世とあの世の境界線である黄泉比良坂を目の前にした時、伊弉冉尊に追いつかれる。
伊弉冉尊は怒りに任せて罵る。一日1000人の人間を殺すと言う。伊弉諾尊も反論し、それなら一日1500人の人間を産んでやると言い返す。
そこに菊理姫が現れ、伊弉諾尊の耳元で何かを囁き、伊弉諾尊はニンマリとして納得。そして黄泉比良坂を通り現世に帰った。
伊弉諾尊と伊弉冉尊のストーリーはこんな感じですかね。
つまり最初に結婚した神ありますが死に分かれた、或いは離婚した神々でもあります。それなのに縁結びの神と言うのはおかしい。
確かに多くの神々を産んだが、最初の蛭子神は海に流した。最後の加具土命神を産んだ時は母の伊弉冉尊は死亡。伊弉諾尊は怒りに任せて加具土命神を殺している。
それなのに安産や子宝のご利益があると言うのか。家内安全、無病息災のご利益があると言うのか。全然違うじゃないか。反対じゃないか。悪神じゃないのかと思っていたのです。
ここに神道と言う宗教??の根本があります。神道は受代苦です。神が人間に代わり自ら行動し人間の罪を犯し、その罪に苦しみ罰を受ける。それが受代苦です。
伊弉諾尊・伊弉冉尊のこのストーリーは、人間の罪を二神が背負って人間に代わって罰を受けた。だからこそこの二神は尊いと言えるのです。だから上記のご利益も納得だと断言出来ます。人間の罪を自らが背負ったのですから。
曲がった心の私には、縁結びのご利益は戴けませんでしたが・・・・・・。
二柱神社には伊弉諾尊・伊弉冉尊が祀られている。それは間違いないです。
しかし、二柱神社は神仏習合時代、仁和多利大権現と称していた。伊弉諾尊・伊弉冉尊が仁和多利大権現であるのか。
私は違うと考えています。
牡鹿半島と南三陸には八社の二渡神社が鎮座しています。祭神は恵比須様のケースもありますが、大抵は伊弉諾尊・伊弉冉尊が祀られています。
これは何故なのか。
蝦夷の国は日高見国と言われていました。その場所はその名から北上川周辺とその河口の石巻に蝦夷が集中して住んでいたのは間違いないです。そして牡鹿半島や南三陸も蝦夷の拠点だった。
そこに朝廷側が金の奪取等々を目的に攻め込んできた。蝦夷の領地を奪い、蝦夷達を残酷に殺した。
朝廷側はその蛮行を正当化したい。だから蝦夷達が信仰していた二渡神社に伊弉諾尊・伊弉冉尊を祀った。
蝦夷を襲った事、日高見国を襲った事をこの二神を祀る事で第二の国生みの儀式だったのだとの言い訳の為に祀ったと言えます。
蝦夷の時代、仙台で一番の繁華街??と言うと七北田川周辺です。特に岩切に蝦夷達が集中して住んでいたみたいです。
だから二渡神社も修林檀に鎮座していた。しかし朝廷側が第二の国生みの儀式として伊弉諾尊・伊弉冉尊を祀った。それで現在の二柱神社には伊弉諾尊・伊弉冉尊が祀られているのだと私は考えています。
だからと言って二柱神社に祀られている伊弉諾尊・伊弉冉尊が間違っているのではありません。正しく神聖に鎮座しているのですから。だから二神のご利益も得られる。それは間違いないです。
ただ、私が言いたいのは二柱神社には地主神が存在すると考えられる。その事に付いてです。
続く。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます