諸行無常なる日々。或いは鬼渡神と神々の源流。

呪われた家系を生きる私の人生観や日常。それに立ち向かう為の神道的な考え。そして因縁の鬼渡神、神々の源流について考えます。

瀬織津姫にからむ利権。 その6

2014年06月17日 00時02分26秒 | 瀬織津姫
続いてしまいます。

そんな訳でSさんのブログからはオサラバしました。

そしてある日、塩竈を中心にブログを書いている方のブロクに寄ってみてビックリ。

瀬織津姫のお題でブログを書いていたんです。その内容は何と先のSさんのブログにYさんのファン??が書き込んで大炎上し、それに怒ってのものでした。

塩竈のブログ主さんを仮にK氏と呼びます。K氏のブログも地元宮城県や東北を中心にキメ細かく神道について書いています。地元の神社について書かれてますので、私もたまに立ち寄りコメントを残したりしていました。

そしてまたまたY氏関連です。いやいやいやいやと思いましたよ。

ブログの内容はY氏の熱心なファンがSさんのブログにコメントした内容についてです。多分、女性だと思いますが「瀬織津姫はY氏に降りているのであって、貴方には降りていない」旨書き込んだようです。

それでSさんもカッーと来たのかコメントの応酬になったようです。途中から削除されて私は全て読んではいませんが・・・・・。

まぁー私もSさんのブログの内容では、そう言う発言を受けるだろうとは思いました。何しろ「瀬織津姫を抱きしめたい」と言っているんですからね。

でもSさんの祖母様までががコメントに書き込み火消しを行ったのに(Kさんのブログにもお詫びのコメントを残してます)、またK氏が自分のブログで蒸し返すものどうかと思いました(こんなブログ書いている私が言えた義理じゃないですが・・・・)。

それにしても九州のSさんが塩竈のK氏とも親交があったとは驚きです。K氏の過去のブログを調べたら、Sさんが仙台の瀧澤神社にも行幸なされ、その案内役をした様です。いやーネットの力は凄いですわ。

K氏はSさんに対して、「1000年を超える歴史の神社に生まれても驕らず、瀬織津姫について熱心に研究している素晴らしい人」的に語っていますが、神職だからと言って神に優遇されているとは思いません。むしろ逆だと思います。

神社は神の祟りを恐れて祀る封印装置。神の祟りを恐れるから神を祀っている。つまり神職は元々神を恐れていた者です。

例外はありますが神職の家系は神を殺した家系。或いは侵略した者の家系です。神に対して後ろめたさを感じている。たから祀るのです。

私の家系も熊野神社の神職を続けてきた歴史があります。昨年、私と同じ家系の方と知り合いましたが、ご実家は熊野権現を祀る修験道系の寺院でした。

しかし、それでも因果な運命に翻弄されています。神職の方が一般人よりも神の因果を受けて生きているのです。故に何も誇るべき存在ではありません。弱い存在なのです。

その神に恨まれている弱い存在の者が「神を抱きしめたい」、「神の巫女になりたい」と考えるのはおこがましい。根本から間違っていると思うのですが、どんなもんでしょう。

今はハッキリと判断は付きませんが、少なくても神に贔屓にされているとは思えません。神は人の上に人を作らずだと思います。


話は変わりますが、岩手のG氏、塩竈のK氏、そして九州のSさんは何故か揃って瀬織津姫を「瀬 織 津 比 口羊(私のパソコンでは「口羊」の字が出ず)」と表記しているのですが、何か派閥みたいなのがあるのでしょうか。

確かにG氏、K氏、Sさんの瀬織津姫の知識は素晴らしいです。でも派閥みたいなものを作って、敵対関係を作るのであれば止めるべきです。まさかそんな訳は無いと思いますけど、心配ではあります。

それにしても「瀬織津姫が降りている、降りていない」の話ですが、私、疑問に思います。
だって神がその人に降りているのなら、その人は歩く神社です。街で会ったら参拝しなければならないのでしょうか。

そして人間に直に神が降りるのであれば、神の使いである眷属の存在意義はなくなります。何のために神社に狛犬があるのかって話になっちゃいます。

中規模以上の神社には大抵狛犬が鎮座しています。狛犬は眷属を表しています。神の使いとして人間に憑いて艱難から身を守ってくれる有難い存在であります。

その眷属を飛び越えて神が人に降りてくるのであれば、眷属は要らない事になっちゃいます。それって神道の教えとは違うのではないでしょうか。。

以前、「聖婚(ヒエロス・ガモス)」のお題で書きましたが、神が人に宿るには一定の規定があります。

その規定で考えると、Y氏もSさんも神が降りる規定を満たしておりません。或いは資格を失っています。だからどちらにも降りていない、降りている人は世の中にいないと、現段階の私はそう思います。降りるとしたら眷属の筈です。

Y氏やSさんの周りに瀬織津姫の眷属である巳様がニョロニョロしてたり、その上空で同じく眷属の天狗様がバサバサしてるかも知れませんが、人間には瀬織津姫は降りないと思っています。瀬織津姫が人間だったら分からないですけど・・・・・。

前出のGさんも「我が故郷・早池峰の女神である瀬織津姫」と語っていますが、神はどこのものでも誰のものでもない筈です。

Y氏との間に何があったのかは存じませんが、Y氏に「瀬織津姫を持って行かれた」旨の嫉妬を感じているのでしょうか。

そしてY氏のファンもSさんに嫉妬して書き込んだと思えます。全ては嫉妬が原因の様に思います。正直、馬鹿げていると思います。

蝦夷は神を所有する考えは無く、神の恵みは皆で分け与えていたものですが、現代の人は神に対して利権を考える。それで嫉妬するのだと思います。

瀬織津姫と熊野権現は同神であると言われています。そして熊野権現である五衰殿は、嫉妬により殺されています(生き返りましたが・・・)。

どうも瀬織津姫を巡って嫉妬の嵐が巻き起こっている様ですが、それは瀬織津姫に対する信仰とは真逆だと確信します。

私が偉そうに言うのも何ですが、瀬織津姫の恐ろしい祟りが落ちる前に気が付いて頂けたらなぁーと思う次第であります。

因みにその後の「瀬 織 津 比 口羊」の三名ですが、岩手のG氏とは私もコメントでやり合いまして、「何でも全て自分の主張を通すのであれば、神を笠に来て戦争を起こす悪魔と変わらない」と言ったらシドロモドロになって弁明。私もシドロモドロで疲れてしまったので退散。今はブログには寄りません。

Sさんは自分のブログに使った写真が誰かの写真の盗用だったらしく、その写真の撮影者??にクレームを受けてました。

何でも「この写真をブログで使ったら」と知人に言われて使用した。その人は悪意の人で私は嵌められた」とSさんは弁明。その後、ブログの更新も滞っているようです。

K氏もコメントで失礼な事を言う人が現れたそうで、コメントの受付を中止したりしています。
まっ、私もそうですが、皆さん人間臭い所があるって事です。人間なんだから、当たり前の事ですけどね。


ではでは。


コメント (4)
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瀬織津姫にからむ利権。 その5

2014年06月16日 00時02分53秒 | 瀬織津姫
続きます。

私の予想通り、明神瀧に瀬織津姫が祀られていたと分かったことは嬉しかったです。一般人の私では、神社関係者が持つ書を拝読するケースは中々得られませんから、こんなことがなかったら永遠に分からなかったと思います。

実は鬼渡神社を調べていて、瀬織津姫が祀られる場所には単純な法則がある事に気付きました。その法則で考えると明神瀧には瀬織津姫が祀られている筈と考えていたのですが、それを肯定する資料を探すのも大変難しいですし、ホントSさんには感謝です。

でも、何故、急遽、明神瀧の詳細を自分のブログに書く気になったのか。

前々日の深夜に岩手のG氏に明神瀧の件をコメントに書いて、一日とちょっとでG氏は誇らしげに「友人がブログで明神瀧に語っている」と宣言したという事は、Gさんが私との経緯をSさんに話し、明神瀧について書く様に指示したのは間違いないです。何故、こんなに必死なのでしょう。

多分、彼らは瀬織津姫に対して利権みたいなものを感じており、「瀬織津姫の特許競争に負けてらんに」との思いで急遽ブログを書いたと思います。この感覚、私には分からないですねぇー。

分かっている事はG氏とのコメントのやり取りで、私をY氏側の人間、Y氏の信者だと思った事です。

確かに私はY氏と交流があります。でも、私のブログを読んで頂ければ分かると思いますが、私とY氏とではかなり思想が違います。

スピリチュアルとは霊性を意味しますが、私は過去の霊性と言いますか、神道の霊性と言いますか、神を恐れ、祟を恐れての霊性を考えています。因果な家系を生きていますので。

つまり祟の軽減。因果の中和を目的に神道を考えています。祝福されているY氏と因果を受けている私とでは根本が違うのです。

ただ、私の考え・知識は殆ど書物によるものです。「見ると聞くとは大違い」、「百聞は一見にしかず」と言います。実際、書物で得た知識で現地に行き、違う印象を受ける事が多い。学科が良くても実地がダメなら全てがダメと言えますしね。

その点、Y氏は全国の瀬織津姫に纏わる神社への参拝の旅を続けています。私にとってY氏が旅で得た実感は大変参考になります。私の霊性に対しての考えを肯定・否定する上で。

そう言う意味でY氏は霊性の問題を提起し、その回答を得るに至る問題集的な存在ではありますが、Y氏の解答が全て私に当て嵌る訳ではありません。人はそれぞれ違いますので。

故にY氏とは考えを異にする事もあります。解答は人それぞれ違いがあってしかるべき。皆が同じになる訳がないのです。

たから私はY氏の信者でもなければ、Y氏の派閥の者でも何でもないです。私は私、それだけです。

まっ、そう言う考えですので、私は私の道を行きたいと思っています。


話をSさんに戻します。

実は私、以前にSさんのブログを読んでいました。それで瀬織津姫を祀る神社の娘さんである事も知っていました。

Sさんのブログには、専門的な知識を得るのに大いに役立つ部分もありますが、ちょっと私には文章が難し所もあります。急に口調が少女コミック調になったり、宝塚男役調になったりするもんですから、いいオッサンの私が読んでいて恥ずかしく思う部分もありました。

中でも決定的に違うと感じたのは、Sさんの「瀬織津姫~ 貴方を~ 抱きしめたい~っ(多分、宝塚調)」と言う表現です。

私は神社に祀られている神に対しては「かしこみ、かしこみ、御礼申し上げ奉る」べきで、神社への参拝で、神の前に立つ事は大変恐れ多い事だと思っております。

しかし、神社の娘さんであるSさんは「貴方を抱きしめたい」と言っています。宝塚男役の口調??でです。祀られている瀬織津姫に対して、対等以上の物言いに聞こえました。

私はコメントで質問しました。「貴方は神功皇后にでもなりたいのでしょうか」と。

Sさんは「なれるものなら、そうなりたい」と返信。私はこの解答を受け、Sさんのブログから離れるべきだと思いました。

ただの人間が神になりたい、聖母になりたいと思う思想は大変危険だと感じましたので。

それは仏教でもキリスト教でも宗派に分かれ、戦争を繰り返してきた歴史から見ても言えます。これらの戦争は神が起こしたのではなく、神を語り権力を掴んだ者が起こしたのです。自分の利権を維持する為に。そして自分が神になる為に。

その行為は神を笠に着る悪魔になる道です。これは絶対を付けて間違っていると断言できます。

私はそう言う人とは付き合うべきではないと考えます。


つづく。
















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瀬織津姫にからむ利権。 その4

2014年06月15日 00時02分33秒 | 瀬織津姫
続けます。

書いたカスタマーレビューは、Y氏の瀬織津姫をタイトルとしたCDに対してです。

私は「歌が下手だ」とか「イメージが違う」と言う感想があっても良いと思います。考え方・感じ方は人それぞれです。違いがあって当然です。人間なんですから。

現に他に書籍等のカスタマーレビューを書かれた人も賛否両論書かれています。それはそれぞれ、その人の実感です。これは問題ありません。誰が正しい、間違っているの問題ではない。それが自然です。

しかしG氏のカスタマーレビューはY氏のCDに対して「偶像崇拝」と語っています。これはどう考えても根本から間違っていると言えます。だって瀬織津姫は日本の神、神道の神なんですから。

偶像崇拝とは旧約聖書、つまりユダヤ教から生まれた言葉であり思想です。ユダヤ教の神は絶対神・ヤハウェ。亦の名をエホバといいます。神はヤハウェただ一神。ヤハウェ以外の神は神ではない。

旧約聖書のユダヤ教は一部??新約聖書のキリスト教に受け継がれますが、ユダヤ教徒から見ればイエスキリストは神でも神の子でもないです。悪魔であるバールの使徒とされていますから。

勿論、聖母マリアも神ではない。キリスト像も聖母マリア像も神ではなく偶像崇拝となります。当然、日本の神道もユダヤ教徒から見たら偶像崇拝に間違いないです。

日本の神々は山に宿る、瀧に宿る、巨石に宿る、御神木に宿る。そして神社の御神体に宿ると考えられています。神道の根本には自然崇拝が根強く残っています。それが神道です。そう言う宗教なのです。

それをY氏の瀬織津姫のCDに対して「偶像崇拝だ」と言ってもしょうがありません。神道や瀬織津姫は、ユダヤ教でもユダヤの神でもないのですから。

G氏だって瀬織津姫が宿る早池峰山の登山ガイド的な事をしています。岩手県の神社を周り、その神社や祀られている神についてブログで語ってます。ユダヤ教徒から見れば偶像崇拝的な事をしているのです。

ハッキリ言って言ってる事とやっている事が矛盾してます。支離滅裂です。こんな屁理屈、総会屋だって恥ずかしくて言いませんよ。
まっ、Y氏憎しの一心で書いたのでしょうけど、余りにも稚拙だと思います。

うーん、何か私もちょっとエキサイトしてきました。この話はここらで止めときます。次は新たに更新したブログの内容に付いてです。

何とG氏は、私がコメントした福島県天栄村の明神瀧について記事にしてきました。その内容は自分の友人が明神瀧の記事をブログで書いたと言う内容です。つまり正確には別の方に記事を書かせたのです。

その友人とは、九州の某所で瀬織津姫を祀る神社の神職をされている方のご令嬢です。確か県庁か市役所にお勤めの公務員だと記憶してます。まだ20代の若い方です。ブログの写真で後ろ姿を拝見しましたが、美しそうな方です。

写真でご実家らしい神社を拝見しましたが立派でした。お父様はリッターバイクのBMW。本人はカワサキの1400ccの大型バイクに乗っているようです。私から見れば大セレブ様です。大したもんです。仮にSさんと呼びたいと思います。

私がG氏のブログに明神瀧についてコメントした2日後に記事にしてます。sさんのご祖父が撮影した明神瀧の写真を添えてです。早すぎます。

私には神社の息子と言うか、実家の神社で禰宜をしている友人がいます。彼の家には何度も行ってますが、神社や神道に関する書物が多数あります。神社庁発行の書物です。一般的には流通せず、神社関係者が持つ書物です。勿論、神社等についての詳細が目いっぱい書かれています。

察するにSさんもそれらの書物から明神瀧の記述を元にブログに書いたと思います。そしてその記事には明神瀧には「瀬織津姫が祀られている」と書かれていました。やっぱり私の推測通りだと思いました。


つづく。














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瀬織津姫にからむ利権。 その3

2014年06月14日 04時51分54秒 | 瀬織津姫

続きです。

G氏からのコメントの返信ですが、急に人が変ったと言いますか、口調が変わってました。怒り口調です、ニュアンス的に(文章ですけど・・・)。

そして返信の内容は「もののけ姫は瀬織津姫がモデルだと宮崎駿氏が語っているのか。認めているのか。スタジオジブリに問い合わせるぞ。勝手に語って責任が持てるのか。何かソースはあるのか。何でもかんでも瀬織津姫だとする輩がいるが、その情報の発祥元を記載しないのであれば、気安く書くべきではない」等々です。

5年程前の話なので詳細は完璧に正確であるとは言いませんが、ニュアンス的にはこの様な内容でした。

「もののけ姫のモデルが瀬織津姫」とする私の考えは、「二羽渡神社と鹿狼山の手長。そして瀬織津姫」としてブログを書きましたので、詳しくはそちらを見ていただきたいのですが、コメントで「かもしれない」的に書いただけなのに、ここまでお怒りになるとは思いませんでした。だってG氏もご自分のブログで「かもしれない」的に書いているんですから。何で私が語ってダメなのかワケワカメですよ。

正直、神道に付いてのカゴテリーは、大抵「かもしれない」です。古事記・日本書紀が正確とは言い切れませんし、柳田國男氏が言っているからといって正しいとも限りません。

柳田さんも南方熊楠氏に理論でボロ負けしシドロモドロになってます。昔の高名な民俗学の権威の説も現在は否定されているケースも多々あります。全ては断言できないのです。

この程度の事、G氏だって当然分かっている筈。「急にどうしたんだ」と思いました。

そして「何でもかんでも瀬織津姫だとする輩」です。これは瀬織津姫に付いてトラベルエッセイ的??な内容で著書を出しているY氏を指していると直ぐ分かりました。瀬織津姫を広めたのはK氏が点火し、Y氏が爆発させたと言えますので。

でもG氏もブログで多くの神々を瀬織津姫を重ねて書いています。瀬織津姫の研究本を出されているK氏だってそうです。瀬織津姫は弁才天、アラハバキ神、市杵嶋姫、天伯神、木花開耶姫、そしてマガツヒ神等々と重ねられて書いています。G氏が言えた義理では無いと思います。

これはもしかしたらY氏との間に何かあったのかも。私の野次馬根性が疼きます。「うーん、どうしようか」とは思いましたが、下衆な私はY氏に聞いてしまいました。「岩手県在住のG氏を知っていますか」と。

Y氏は知っていました。岩手県の瀬織津姫を回る旅でK氏に紹介されたとの事です。G氏の宿にも宿泊し、仕事の付き合いもあったようです。ピアノの調律も安くやってやったそうです。蜜月の時期があったのです。

それなのにG氏の態度は急に豹変。理由は分からず。見当も付かず。一体どうしてしまったのかと言ってました。

G氏の豹変ぶりですが、世界的なネット通販のAサイトにも現れています。Y氏はAサイトで著作本・作詞作曲したCD等を販売しているのですが、G氏はそこでもY氏に噛み付いています。カスタマーレビューで。自分の宗教観をぶつけて。


つづく。

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瀬織津姫にからむ利権。 その2

2014年06月13日 04時10分27秒 | 瀬織津姫
何時もながら前置きが長くなりました。ここからが本題・・・っと言いたいところですが、私が瀬織津姫を知った経緯も書いておきましょうかね。

実はそんなに古くはないんです。7年ほど前でしようか。実際は30年近く前に読んだ本で瀬織津姫が出ていたんですが、瀬織津姫の名前は記憶には残りませんでした。

当時の私は、私の姓にも「ナガ」がつきますし、「本来の日ノ本の神はナガスネ彦。地元の奥州一宮・塩竈神社の真の祭神もナガスネ彦」等々考えていたもんですから、ナガスネ彦以外頭に入らなかったのであります。

そして20年近く前にパソコンを買いまして、小学四年生の頃に知った「何時も大釜を背負い、敵が来るとその大釜の中に隠れた。何時も姫を守っている」と言う謎の武将・永井平九郎を思い出して検索。その経緯の中でこれまた謎の神社であり、因縁の鬼渡神社に遭遇した訳です。

鬼渡系の神社や祀られている鬼渡神に興味を覚え調べた経緯は、「鬼渡神との因縁」で書いたので詳しくはそちらをお読み頂くとして、そこから瀬織津姫にたどり着いた経歴を述べます。

まぁ、何と言いますか、鬼渡系の神社を調べている者が私の他に一人います。福島県会津の方です。

その方が鬼渡系神社の情報を集める為に、鬼渡神についてのブログをわんさかと量産。そこに私が「いわき市三和町にある永井神社は以前、鬼渡神社と呼ばれていた」とコメントし、色々情報を交換していたんです。

その彼が「鬼渡神はセオリツ、セオリツ・・・」と恐れ多くも瀬織津姫をブログにて呼び捨てで連呼し、「瀬織津姫とは何ぞや」と思った次第でございます。

私は疑問に思うとその疑問に頭が支配される性質なもんですから、すぐさま瀬織津姫をネットで調査を開始。

そしたら瀬織津姫を祀る神社を求め、日本中を旅して回るY氏のブログを発見。「会津中心に鎮座する鬼渡系の神社は瀬織津姫を祀っているそうですよ」とコメントし、メールで詳細を聞かれたのがY氏との付き合いの馴れ初めでやんず。

そしてここからが本題です。私は鬼渡神と瀬織津姫の関連をねっとサーフィンしながら探していたのですが、瀬織津姫について詳しく書いているブログを発見。岩手県の人です。

岩手県の方で瀬織津姫を研究なされている方と言うと、わざわざ故郷??の名古屋から岩手に移り住み出版社を構え、瀬織津姫に関する研究本を三冊発行しているK氏が有名ですが、そのブログ主は民宿を経営。地元・岩手の神秘的な地をガイド??して回る方でもありました。仮にG氏としときます。

このG氏のブログですが、地元・岩手県の伝説や伝承を中心に、きめ細やかに丁寧に書いております。私は岩手県の伝説・伝承について余り知識がないので興味深く読ませていただきました。少々文章が大学の卒業論文的で私には難しい点がありますが、資料としては素晴らしいと思います。

それで私も度々コメントを書き、感想等を述べていたのですが、情報のお裾分け的に「福島県天栄村に田心姫を祀る明神瀧がありますが、実際は瀬織津姫が祀られている可能性が高い」。「宮崎駿のもののけ姫は、瀬織津姫がモデルかも知れないですね」的な事を書いたのです。

そしてコメントの返信と共に新しいお題目でブログが更新。その内容みてビックリです。一体どうしたのかと思いました。


つづく。










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