諸行無常なる日々。或いは鬼渡神と神々の源流。

呪われた家系を生きる私の人生観や日常。それに立ち向かう為の神道的な考え。そして因縁の鬼渡神、神々の源流について考えます。

ゴミ屋敷女との戦い。その4

2016年09月13日 16時29分57秒 | 霊体・恐怖

思うところがあって「人生」のカテゴリーを「霊体・恐怖」にチェンジしました。こんなウンコの話を人生で語っては自分が情けないですからね。

さて続きです。

私の母はウンコの猛烈な臭いで発狂。ウンコ片付けは中止。そして連帯保証人のホステスの母親に電話をしました。

相手の母親はゴルフのキャディーをしています。娘のホステス同様シングルマザーのようです。

私の母は「お宅の娘さんの家賃が滞納している。部屋には帰っていない。行方不明だ。部屋がゴミ屋敷にされた。それどころではない。ウンコだらけになっている。どうしてくれるのだ」と激高。

キャディーの母親は娘を連れて話し合いをすることに同意。そして立会いの日が来ました。

娘のホステスは最初から号泣です。嗚咽を上げて会話になりません。泣きたいのはこっちだと言うのに。

話し合いでは滞納している家賃と部屋のクリーニングを母親に約束させましたが、流石に損害賠償までは言い辛いですね。

どうも娘はお金が無いみたいです。既に30代中頃を過ぎています。ホステスは辞めているのかも。

それと私の家の物件を借りてから10年以上経過しています。それを考えると納得するしかない部分もあります。しかしウンコ部屋ですからね。クリーニングでどれだけ現状が回復出来るものか。うーん。

クリーニングは当然、専門の業者が担当しました。それでも部屋はズタボロです。壁砂はこぼれ落ちているし、畳は全滅ですし。

何しろウンコ部屋でしたから、畳に糞尿が染み込んでいます。再利用なんて不可能。底板剥き出しです。あぁーあ、まいったなぁーもう。

どうもクリーニング代は38万円だか58万円だか掛かったようです。ちょっと覚えていません。慰謝料とクリーニング代を含めて58万円だったような気がします。彼女たちにはそれが限界だったようです。

この部屋を貸すとなるとリホームするしかない。でも借り手は現れないでしょう。しょうがないです。私の商売の倉庫としましたわ。ホント、ついていないわ。

ホステスが部屋から出て行ったのは、ウンコ部屋に住むのが限界になったからでしょうね。あんな部屋、ホームレスだって住みませんよ。お金を貰っても。刑務所の方が絶対まし。よくもまあ、あそこまで汚したもんです。

理由は嗚咽していて聞けませんでしたが、グウタラだからと言うしかないです。

そして女性で部屋を汚すのは、精神面で異常をきたしているケースが多いそうです。反対に男性の場合は潔癖なくらい部屋を綺麗にする方が精神面で問題があるそうです。

私も自分で精神面で問題があると自覚していますが、部屋を綺麗にしているとは言えないから、まだまともなのでしょうか。何とも言えませんけど。

このような出来事を体験して、私トラウマになっています。国分町で客の見送りしているホステスやキャバ嬢を見ると、あのウンコ部屋を思い出すのです。私に取って「ホステス=ウンコ」なのです。

だからキャバレーなんて行きたいとも思いません。あのけばいホステスのドレスを見るのも嫌。胃が痛くなるし、どうしてもウンコを思い出します。

「女の子のいる飲み屋に行こうよ」と度々誘われてはいますが、私が断る理由はこれです。お金が無いのも理由の一つですが。

以上、長々と汚い話を続けてしまいました。でも判って頂けたでしょうか。不動産賃貸業なんて楽な仕事じゃないのです。

今回のウンコ部屋事件も立ち直るのには時間が掛かりました。住人のホステスが腐乱死体となってゴミとウンコの中から見つかり、事故物件になるよりは大分マシと思って納得しました。本当に大変ですよ、不動産賃貸業は。

現在、仙台市の空き室の率は全体の10パーセントだそうですが、横浜市同様、以前の30パーセント台に戻るのは覚悟しなければならないと思います。そうなると本当に大変です。またまた貧乏に陥ります。人は羨むかもしれませんが、不動産賃貸業なんてやるもんじゃないです。精神的に凄く悪いです。廃人になりかけの私が言うのだから間違い有りません。

心も懐も貧乏になるだけですよ。本当に。

 

ではでは。

 

 

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ゴミ屋敷女との戦い。その3

2016年09月10日 09時26分48秒 | 不動産賃貸業

台風が去って今日はいい天気でした。暑いのは苦手ですけど。爽やかです。それではウンコの話を続けます。

母は風呂場にも行って見た。ここもウンコだらけ。水が止められているから風呂にも入っていないのだろう。水無しで暫く暮らしていたのは間違いない。水道代を払うお金が無かったのだろうか。

それは無い筈です。コンビに弁当の容器が大量にある。そして水やお茶、ジュース等々の大型ペットボトルも物凄い量が転がっている。電気代は払っていた訳だし、水道代が払えない訳は無い。

私の記憶が曖昧ですけど、当時はコンビニでの支払いはやっていなかったのかも知れません。東北電力の営業所は割りと近くにあります。しかし仙台市水道局は街中に合った。だからめんどくさがって払いに行かなかったのだろうか。

ホステスだから仙台の繁華街である夜の国分町で働いていたと思われます。仙台市水道局は国分町からは近いのですが、夜は水道局は当然閉まっている。だから支払いに行けなかったのでしょうか。うーん、判らない。

私も浦安に住んでいた頃は部屋も結構汚かったのでありますが、ゴミの上で寝る程汚くはしていません。勿論、ウンコだらけになんかしてませんよ。

多分、そのゴミ屋敷のホステスはスーパーグウタラだったと思われます。こんな女性に育てられたら子供もぐれる筈です。子供に問題があったのは、間違いなくホステスの母親に原因があった。こんなゴミ屋敷では子供も逃げて行くのは当然だと思いますね。

当初は勿論ゴミ屋敷じゃなかった訳ですが、どうしてここまで生活が乱れたのか。やっぱりあの12気筒のBMWがカギだと思います。多分、恋人かパトロンと別れたのでしょう。彼女は男性依存症だったのかなぁー。横柄な態度から男っぽい女性に思えたがなぁー。

そんなことは私の一番不得意な分野なので何とも言えませんが、水商売のストレスもあったかも知れませんね。これも私には判らない世界なので何とも言えませんけど。

話をゴミ屋敷、否、ウンコ屋敷に戻します。

母は一旦家に帰り、スコップを持って来てウンコの山となっているトイレの前に立ちました。部屋をこのままにはしておけない。ウンコを片付けなければと思って。もう母の頭の中はウンコしかなかったみたいです。

そしてトイレのウンコ山にスコップを突き刺す。ボォエェェェェェーーー、物凄い悪臭。内臓が全部出るくらいの吐き気をもよおし、母はその場に蹲り吐き気に耐え嗚咽していました。

そして「何でこんな事、何でワッッシがやらなければならないんだぁー。やっちゃくねぇー、わぁー」と絶叫。ウンコにスコップを突き刺したまま、悲鳴をあげてウンコ等の片づけを断念。家に逃げ帰りました。

私もそれは無理ないと思います。一人であれだけのゴミとウンコを片付けられる訳がない。何台トラックが必要なのか判らないゴミとウンコの量なのですから。

 

続く。

 

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ゴミ屋敷女との戦い。その2

2016年09月09日 00時00分35秒 | 不動産賃貸業

いやいや、仙台は凄い雨です。BSが映らないほどのどしゃ降り。仙台駅前が川になっているし、地下鉄が水浸し。大丈夫かなぁー私の店舗は。水浸しになってなければ良いなぁー。心配だぁーーーーーーーっと思いながら続きます。

私はこのアパートには頻繁に行った訳ではないですが、二階には弟夫婦が住んでいました。それで何時も電気がついていると聞いていました。昼も夜もです。まっ、そう言う人もいるだろうなぁーと思っていました。

それから暫くして水道局から「その部屋の水道が止まっていますけど、住人はいるのでしょうか」と電話があった。

「どうなのかなぁー」と思いました。確認に行ったら電気はついている。ホステスだから夜に働いている筈です。声をかけた方が良いのか。

チョット躊躇しましたが、呼び鈴を鳴らしてみました。反応は無し。居住している音も聞こえず。「留守なのかなぁー」と思い帰りました。

それにしても水無しでどうやって暮らしているのだろ。本当に住んでいるのか。電気はついているが。

「そうか、パトロンと暮らしているのだ。だから水無しでもいいのだ。住んでいないのだから。こっちは家賃さえ入っていればいい。問題ない」と思っていました。

そして数ヵ月後、家賃が入らなくなりました。

私の母は本人に電話します。しかし電話は繋がらない。これはもしかしてもしかしたら部屋で死んでいるのかも。まさか、まさか。

母は仕方なく部屋に出向き呼び鈴を押す。やはり出ない。何度ノックしても声をかけても出ない。もうこうなったら最後の手段。合鍵でドアを開けた。そしたら・・・・・・・・・・・・・、

そしたらどうなっていたかはタイトルを見れば判りますね。ゴミ屋敷だったんです。部屋が。

でもそれだけではない。+αがあります。さて、その+αとは一体何でしょう。考えてみてください。既にヒントは書いてます。それではレッツ、シンキングタイム。

 

タイムズアップ。

どうですか、答えはでましたか。出ない方が良いですけど、お話を続けます。

母は部屋のドアを合鍵で開けた。そこに広がっていたのはゴミの山です。とんでもない量です。並みのゴミ屋敷じゃありません。それ以上に異臭がする。とんでもない悪臭。鼻がもげる程の臭さです。母の脳裏に悪い予感が映しだされました。住人のホステスが腐乱死体となってどこかに埋もれているのではないかと。

まさかとは思い、ゴミを書き分け死んでいるかも知れない住人を探します。そこでふと気付きました。数多くのビニール袋に何かが入っている事を。そのビニール袋に入っているものは何か。

答えは糞尿です。ウンコとオシッコです。それが大量にあるのです。もう本当に異様な光景です。ゴミ屋敷なんて生易しいものではない。ウンコ屋敷になってたのです。

どうですか。予想は当ってましたか。水が止められていたのにそのまま住んでいたら、そうなるでしょうね。そのくらいの事判らないと名探偵にはなれませんよ。ホント大変な事になりましたよ。

母はもしやと思いトイレにゴミをかけ分けたどり着きドアを開けてみました。そこにはアフリカの蟻塚状態になっている物があった。それはウンコ。あれもウンコ。どれもウンコです。本当に山盛りです。母はそれを見て絶叫しました。とてつもない臭いがたちこめて吐き気をもようしながら、オエヤァーwwwwwwwwwwwと。

 

つづく。

 

 

 

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ゴミ屋敷女との戦い。その1

2016年09月08日 10時33分10秒 | 不動産賃貸業

今回のお話は大変お聞き苦しい点がございます。もし画像があり添付してでもしたら、奇特な読者の皆さんの目の前の大切なパソコンをゲロまみれにする可能性があります。注意が必要です。お気の弱いお方はスルーをお勧めします。くだらない話でもありますし。

あっ、それと私が戦ったのではなく、私の母が戦ったのです。その点、お見知りおきください。

さて、私の父親がいわき市から引っ越してきまして、最初に建設したアパートがありました。家族向けの店舗が付いた四部屋のアパートです。

このアパートは通りに面している訳ではございません。それでも店舗付きのアパートを建てたのは新聞販売業をしておりまして、本社に店を分けられるのを防ぐ為です。本社は新聞を増やすとテリトリーを取り上げ、店を小さくしようとするのです。新聞を増やす為に。

大きいテリトリーなら新聞を増やさなくても販売店は生活できる。それでは新聞が増えない。担当員の成績が上がらなくなる。それを防ぐために店を割るのです。それを防ぐ為に店舗付きのアパートを建てたのです。分けても店員に店舗を任せるために。その必要性はありませんでしたけど・・・・・・・。

このアパートにホステスをやっている高身長の子連れの美人が引っ越してきました。シングルマザーです。店舗と部屋の二つを借りたのです。

当時、そのアパートは余り人が入っておりませんでした。

昔の仙台は土地が安い。7万円の家賃を払うくらいなら家を買った方が安いのです。だから家族向けの部屋が不人気だった。

しょうがないから店員や伯父家族、そして弟を住まわせていました。私の家は不動産賃貸業も営んでいますが、これは割りの合わない商売だと思います。

仙台で働くなら公務員。公務員に成れないのなら、東京に出た方が絶対良いです。まともな仕事なんて有りません。殆どブラック企業ばかりですから。

話を美人ホステスのシングルマザーに戻します。

この方、確か私と同じ歳です。当時、24歳前後だったと思います。子供は6歳程度でしょうか。かなり問題のある子供で近所のクルマのアンテナをもぎ取って刀にして遊んでいた様です。周辺のクルマのアンテナが全部無くなったと聞いています。えらいのを連れてきたものです。

その後、私は東京に出て就職、33歳でUターンして戻ったのですが子供は消えていました。育てられずに施設か祖母に預けた様です。まぁホステスをやっているのですから、その方が子供にとっても良いかも知れませんね。

このホステスですが私より身長が高いです。確かに美人です。でも品が無い。私が好きなタイプじゃないです。横柄な感じでしたし。

それに乗っているクルマがBMWの5000cc以上のフラッグシップモデルです。12気筒の凄い奴です。パトロンか誰かから貢いでもらったのだと思います。

こんなに大きなクルマに乗っる人間に謙虚な人は少ない。私はそう偏見します。関わりたいとは思いませんでした。

その後、車はアメ車の安クルマのネオンになりました。あれなら国産のカローラの方が良いのに。パトロンと別れたのか。それでもまだ見栄を張りたいのか。そんな話はどうでも良いですけど。

 

つづく。

 

 

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永井平九郎の兄は安倍晴明!?【平将国伝説】 その2

2016年09月07日 00時40分48秒 | 永井平九郎

続きます。

何故、大阪と茨城で安倍晴明誕生の地が分かれているのか。まっ、どっちかが偽物だとは思います。でも何かしら関連がある筈。

チョット話が変わります。私の生まれ故郷の福島県に何と小野小町の産まれた町があります。その名も小野町です。あの有名なリカちゃんキャッスルがある町です。リカちゃんの製造工場も有ります。

そして東京に瀬織津姫を祭る小野神社がありますが、実はリカちゃんのモデルは小野小町であり瀬織津姫です・・・・・・・・・・っと言うのは嘘ですが、小野氏が瀬織津姫を信仰していたのは間違いない。そして小野町には瀬織津姫の源流が隠されています。

まっそれは又の機会に話したいと思いますが、小野小町の誕生地とされている伝説は、秋田や京都、福井、そして福島等々あります。これは全て小野氏縁の地だからでしょう。

そして小野小町と言う美しい歌人が出た。それじゃ村興しのために誕生の地にしちまえと考えたのではないですかね。多分ですけど。

 安倍晴明のケースもそんな感じではないでしょうか。

ただ大阪が先か茨城が先かは判りません。安倍氏は神武天皇に敗れ東北に逃れた長髄彦の兄の安日彦が祖先とも伝わっています。そして秋田には蝦夷征伐に向かった阿倍比羅夫もいた。だから茨城が安倍晴明の生まれ故郷とは言わないまでも、先祖が東北、そして茨城に住んでいた可能性は十分あります。そして信太と言う地名も茨城が先かも知れないですね。

最後ですが安倍晴明の母親とされる信太の森の白狐は誰なのか。

もし安倍晴明が平将国であるならピンとくる人物がいます。平将門の側室であり、永井平九郎の母親とされる桔梗姫です。

福島県天栄村に御鍋神社が鎮座しています。主祭神は永井平九郎。配神は恐れ多くも平将門公と桔梗姫です。この御鍋神社の伝承では桔梗姫が身重の体でここまで逃げ延び永井平九郎を出産。そして女の身での逃亡は足手まといになるからと、この地で自害したと伝わっています。

以前にも桔梗姫については書きましたが、桔梗姫には逃亡前にも三人の子供がいたと伝わっています。もしかしたらですが平将国だった可能性が無い訳ではない。そして桔梗姫を桔梗弁天として祭っている神社もある。

信太の白狐はお稲荷さんとなりますが、弁才天はお稲荷さんである宇賀神を頭に載せいてる神像がある。つまり「弁才天=お稲荷さん」。そうなると桔梗姫が信太の森の白狐であっても辻褄かあるのではないでしょうか。

しかもです。安倍晴明の家紋は五ぼう星。五ぼう星は桔梗紋に入ります。この点も桔梗姫と繋がります。

以上、あっさりとこじ付け論を語って参りました。勿論、私も平将国が絶対に安倍晴明とは考えてはいません。

ただ、平将門公は出羽に何故か五重塔を建立しています。

何故、平将門公が五重塔を建立したのか。私はその地の蝦夷の鎮魂だと考えます。

もしそうであるなら、平将門公にも蝦夷と戦った者の血が流れている。だから祟りを恐れて五重塔を建立した。そしてその血が阿倍比羅夫、阿倍仲麻呂と続く流れなら納得だと思います。

まっ、可能性はあるよ。その程度の話です。無理にお付き合いして頂いたみたいで申し訳ありません。どうもすいません。

 

ではでは。

 

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