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人は心身とも・・・
より良い状態で・・・
生きたいと願う・・・
わが身を知ること・・・
我が心を知ることこそ・・・
健やかな日々の始まり・・・
今日、さらに明日もまた・・・
今朝の新聞を見ていて、肝硬変の治療も此処まで来ているのか!との驚きを隠せませんでした。
もし、この治療法が試されるまで、あの人が生きていたら・・・
あの人というのは、いつだったかこのブログにも書いたことがある得意先の担当者の方のことですが・・・
彼は、堺市の病院で治療を受けながら入退院を繰り返し、仕事を続けていました。
当時のニュースで和歌山医大で肝臓のバイパス手術の方法が話題となった時、和歌山医大へも出向いて相談してました・・・
和歌山医大は側はカルテを見せてほしいとの事で、かかり付けの病院でカルテを貸してほしいとお願いをしたらしいのですが、
担当医は「和歌山医大へ行くのなら、今後一切診ない」・・・と言われたそうで、
彼は不安になり、結局、カルテを持って行くこともなく、今までの病院で息を引き取りました・・・
彼の気持ちの中は、測り知れませんが、一縷の望みをかけていた治療法も受けられず・・・落胆したことでしょう・・・
彼が逝ってからどのくらいが経つのか・・・治療法も随分と進化したものです。
今朝は、その再生医療の現状を紹介してみようと思います。
~以下、7月30日読売新聞朝刊より抜粋~
医療ルネサンス
進む再生医療・骨髄
細胞を移植 肝機能回復
9年前、地元の新聞に載った一本の記事が広島県呉市の自動車販売業、山口鎮樹さん(66)の運命を変えた。記事は、山口大病院(山口県宇部市)で、重症の肝硬変の患者に対し、骨髄の細胞を使った初の再生治療が行われ、経過が良好と紹介していた。「画期的な治療で、助かるかもしれない」。妻の美恵子さん(64)が大学にすぐにメールを送った。
山口さんが病気を告げられたのは30年前。知人の輸血に協力するため、病院で血液を調べたところ、肝臓の機能が低下していた。
「何かの間違いじゃないか」と耳を疑った。小学校で柔道、中学で陸上、高校・大学は空手とスポーツを続け、健康には自信があった。痛みも、だるさも感じたことはなかった。
しかし、精密検査の結果、B型肝炎が判明してすぐに入院。治療を続けたが、症状は良くなったり悪くなったりを繰り返した。肝硬変に進行して、新たにC型肝炎も見つかった。
※ 骨髄
骨の中心部にある血液を作る柔らかな組織。赤血球や白血球などの血液のもとになる造血幹細胞のほか、骨や心筋、脂肪、神経のもとになる間葉系幹細胞が含まれる。
骨の中心部にある血液を作る柔らかな組織。赤血球や白血球などの血液のもとになる造血幹細胞のほか、骨や心筋、脂肪、神経のもとになる間葉系幹細胞が含まれる。
山口さんは漢方薬が良いと聞けば試し、東京や韓国まで食事療法の指導を受けにも通ったが、症状が良くなることはなかった。
山口大病院が2003年11月に臨床試験として始めた再生治療は、患者から採取した骨髄の細胞を、静脈から体内に戻して、線維化して硬くなった肝臓の機能を回復させようというものだ。骨髄の細胞が肝臓の線維化した部分を溶かすとともに、肝臓の細胞に変わったり、肝臓の細胞を刺激したりして、正常な肝臓の細胞が増えると期待される。
05年10月に治療を受けた山口さんの効果は劇的だった。身体が軽くなり、足のむくみやだるさがなくなった。悩まされた太ももの引き付けも起きなくなった。
肝臓の機能を示すアルブミン値も改善。腹部にたまっていた水もなくなった。
「運が良かった。再生治療は自分にあっていた」と山口さんは振り返る。腹水が消えたことで、インターフェロンの治療が可能になり、C型肝炎ウイルスも消えた。8年近くたったが、経過は良好だ。
「肝硬変が判明して30年。ここまで生きられるとは思わなかった。自分が元気でいることが、治療をしてくれた人への恩返し。みんなが治療を受けられるようになってほしい」と話す。