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まだまだ大丈夫・・・! こだわりの日本製品

2016-02-29 | トーションレース&繊維資材
<962>ラメトーション品番<962>
幅 20mm

羽衣ラメトーションレース
自分で小物を創って・・・
        小物のアクセント付けに!!

用途に応じて幅も柄も色々取り揃えています!
小売りのカット売りも可能ですので、ご遠慮なくご相談下さい!



私はやはり昭和の人間やな・・・と改めて実感しました。

なぜ?・・・かといいますと今朝の新聞で

「VAN」という文字を見つけてしまったんです・・・

その文字の懐かしさに惹かれて記事を読み進めてしまいました。


ただ、アイビールックが広まっていた頃・・・

当時の19~20歳の私はどちらかというと「JUN」派で

ヨーロピアン・トラディショナル派やったんですが、

遊び着として勿論、VANなどのアイビールックも愛用していました。

ホンマに懐かしいですね・・・


この記事を読んでやはり良かった・・・というより嬉しかったことが・・・

かつてヴァンヂャケットに在籍され、倒産後に起業された社長の信念。

「安かろうだけで通用する時代はいつか終わる」・・・と信じ続けられ、

今は世界に発信されているお話を読ませて頂き嬉しかったです。


ここにも、日本製品にこだわられる方がいらっしゃいました。

まだまだ日本製は大丈夫のような気がします。


今朝は、メーカーズシャツ鎌倉の記事を転載してみようと思います。

~以下、2月29読売新聞朝刊より抜粋~

七転び八起きのロゴ

 <VAN卒業生>

 米国発祥の「アイビールック」を日本に広めたヴァンヂャケット社に1966年、入社しました。広島の実家の衣料品店が同社の製品を扱っていたのが縁です。

 創業者でファッションリーダーだった石津謙介先生は「日本にはシャツ専門店がない」といつも嘆いていました。男がビジネスの世界で勝つためには「戦国時代の武将と一緒で、いい鎧が必要だ。いい服を着ないといけない」と。

貞末良雄会長

メモのロゴ
 1964年千葉工大卒。ヴァンヂャケットや大手小売店の衣料品責任者などを経て、93年「メーカーズシャツ鎌倉」を妻・民子さん(同社社長)と創業。社名の「鎌倉」は、地元であるほか、当時から海外進出を視野に入れ、「日本の地名」を重視した。ネクタイなどの小物や女性用ジャケットなども扱っている。2015年5月期の売上高は33億円。従業員数は131人。
「3日に1枚」から世界へ

メーカーズシャツ鎌倉会長

貞末さだすえ 良雄 75

 VANが倒産した後、別の会社でアパレルの仕事をして軌道に乗っていた頃、再会した石津先生に「貞末君、君はVANの卒業生なのに、一体、何をしているんだ」としかられました。私自身も長年、シャツ専門店のビジネスプランを温めていたこともあり、企業を決意しました。

 <絶対売れると確信>

 93年、神奈川県鎌倉市の自宅近くのコンビニの2階で開業しました。VAN時代に学んだのは、米国のビジネスマンが一流のシャツをさっそうと着こなしていたことです。それを手本にして、吸湿性に優れた柔らかい綿100%の生地に貝殻ボタン付きシャツを売り出しました。
石津謙介さんと貞松さん
約20年前
鎌倉本店を訪れた
石津謙介さん(右)
から指導を受ける
貞松さん
 値段は4900円です。当時、大手スーパーで売られていたシャツは約1900円。「こんな高い値段じゃ売れないよ」と知人に批判されましたが、「絶対売れる。店の前に行列が出来る」と自分に言い聞かせていました。 

 虚勢を張っていたわけではありません。「こんな高品質のものが安く買える」。お客様のシャツに対する価値観が変わる時代が来ると信じていました。
 1日3枚売れれば、家賃が払える。それが目標でしたが、実際には3日に1枚ほどしか売れなかった。妻に「友達でも何でもいいから買ってもらって」と頼み込む時期が半年は続いたでしょうか。

 きっかけは、妻が店を紹介する手紙を雑誌社に送ったことです。たまたま「鎌倉特集」で「鎌倉夫人の御用達の店」として載ったら、週末には行列が出来るようになりました。

 <全国、そして海外へ>

 その後、評判を聞いた商業施設から出店依頼が相次ぎました。現在は1日200枚が売れる東京・丸の内の丸ビル店など、国内外で27店を展開しています。
 買い物に不慣れな男性のために、商品はサイズ別に棚に整理して見つけやすくしました。長居しなくて済む工夫です。

 2012年から進出した米国の店舗も当社は鳴かず飛ばずでしたが、インターネットで「カマクラシャツ」の名前が広がり、今や地元客が全体の8割を占めるようになりました。
 次は英国やメキシコなども考えています。衰退しつつある国内縫製業が少しでも元気になってくれればいいとの願いもあります。日本製シャツを世界の一級品と認めてもらいたいですね。

(聞き手 東田陽介)

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