ヌマンタの書斎

読書ブログが基本ですが、時事問題やら食事やら雑食性の記事を書いています。

「魍魎の匣」 京極夏彦

2007-09-04 09:17:20 | 
科学は万能ではないのだろう。

18世紀にデカルトが「この世のあらゆる事象は、論理により解明できる」と宣して以降、科学が神に成り代わった。ニーチェにいたっては「神は死んだ」とまで言い切った。19世紀以後の欧米による近代社会が世界を制した根幹には、この科学万能思考がそびえ立つ。

しかし、科学はやはり万能ではないのだろう。少なくとも人間の知能が導き出す科学には、人間ならではの限界があると思う。だからこそ、宗教は廃れないし、占いはいつも必要とされ、超能力が求められるのだろう。

私自身は、占いは信じないし、お化けもみたことがない。超能力は必要性を感じないし、神の救済すら求めていない。でも、心の弱さが占いを求める心情は分るし、お化けを生み出すのが、それを必要とする人の心であることは分る。悪魔の怪しい誘惑に惹かれる醜い心性が自身の内に存する以上、神への救済にすがりつかんと欲する気持ちも隠れているのだと予想できる。

著者、京極夏彦のミステリーにはいつも不満を感じる。ミステリーとして透徹していないと思うからだ。でも、その不満はごく小さいものだ。表題の作に限らないが、論理とか科学的証拠だけではミステリーはツマラナイ。人間が登場する以上、そこには矛盾だらけの人の生き様が、まだら模様の事件を紡ぎ出す。

人類の長年の努力の成果である科学と、矛盾だらけの人間の心情が相克する狭間には、時として狂気が吹き荒れる。なるべくなら、その狭間には近づきたくないと思いつつも、止むに止まれず狭間に立つ陰陽師。

その博覧強記ぶりは、少々鼻につくが、不快でないのは彼が知識の奴隷ではなく、知識の使い手だからだと思う。科学も知識も、人を幸せにしてこそ価値がある。知識はそれ自体目的ではなく、手段であることを忘れたくないものだ。
コメント (2)
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