ヌマンタの書斎

読書ブログが基本ですが、時事問題やら食事やら雑食性の記事を書いています。

「参謀の昭和史」 保阪正康

2007-09-06 09:28:26 | 
敢えて書くぞ。

世の中にはいけ好かない奴は、たしかにいる。私が以前から、疎ましく思っていたのが瀬島龍三だ。典型的な戦前のエリートであり、戦時中は主に南方作戦の企画立案を担当していた。ろくに護衛もつけずに補給作戦をたて、そこをアメリカに狙われて、その結果武器食料医薬品の欠乏から数万の日本兵の餓死病死者を出した功労者(アメリカにとってだが)だ。

その功績をもって中国東北部へ栄転(なんでじゃ~!)し、戦後ソ連軍の捕虜となるも、日本兵を労働力として提供することを約して(本人は否定しているがね)生き延びた逞しい御仁でもある。後に某作家に、馴れぬ肉体労働の苦労を滔々と語ってたぶらかした。しかし、シベリアの凍土に戦友を奪われた旧軍人からは疑惑の目を向けられ続けたが、ソ連との厚いパイプを持って疑惑を葬り去った実力の持ち主でもある。

帰国して後は、総合商社に入り込み、派手な事業を立ち上げるも、いずれも結果として大きく利益を損ねた。失敗した経営者だと思うが、不思議と周囲の人間を魅惑する才幹の持ち主であったようで、しっかり経営者の座に居座る厚かましさも持ち合わせていた。

土光臨調の前後から、いつのまにか政府の仕事に入り込みだし、中曽根のブレーン役を買って出て、政界利権にも食い込むしたたかさは、さすがとしか言い様がない。権限は振るいたがるが、責任はとりたがらないエリートにとって、ご意見番はお似合いの役どころだったようだ。

田中芳樹の「銀河英雄伝説」にトリューニヒトという悪役が登場するが、私はそのモデルとなったのは瀬島氏ではないかと勘ぐっている。残念ながら日本にはロイエンタールはいなかったため、見事先日天寿を全うしてしまった。

日本では故人の悪口を書かないことが美徳とされている。分っちゃいるが、この御仁に関してだけは黙る気になれない。失敗を重ね、他人の屍の上に功績を重ね、非難を巧妙に封じる手管に長けたことは間違いない。弁舌のさわやかさとは裏腹に、やってきたことといえば、宿木が如し。栄養を吸い取り、枯死させると次の獲物へ渡り歩く俊敏さは、実に見事な渡世だった。

寄生虫と称するにはあまりにスマートで、ハイエナのように死体に群れることはない。やぶ蚊のごとく他人の血を吸い取るが、痒みを残さず、むしろ美名を残す狡猾さは呆れるほかない。案の定、死亡記事は賛美の嵐。

でも私は忘れない。忘れてやらない。そう思う人の代表が表題の作品の著者だ。瀬島氏に功績があったことは否定しない。でも、マイナスの功績があったことも知って欲しい。この人は、美化したままにしておいて良い人では断じてない。
コメント (5)
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