ヌマンタの書斎

読書ブログが基本ですが、時事問題やら食事やら雑食性の記事を書いています。

「滅びの笛」 西村寿行

2007-09-05 09:25:32 | 
渋谷駅前のハチ公広場の喧騒は、いつだって忙しない。

とりわけ、これから飲みに行こうと騒ぎ立つ夕暮れ時の賑わいは、映画「ブレードランナー」で描かれた未来社会のような猥雑さだ。日焼けした肌に下着をこれ見よがしに覗かせる若い女性が、香水をふりまきながら闊歩する。ファンキーな刺青をみせびらかす青年は、貧弱な品性そのままに道路に座り込み、周囲に危ない視線を撒き散らす。学生気分が抜けぬサラリーマン風の青年が、携帯片手に忙しなく駆け回る。

若者の街・渋谷はお洒落というより、堕落した流行の先端を這いずり回る未熟さの塊の感がある。されど人々の熱気と興奮が華やかな彩りをまとって煌くためか、その真実の姿は容易に気がつかせない。

そんな人間たちを静かに見つめる忠犬ハチ公の周囲に広がる植樹された植え込みを、小さな動物が駆け回っている。良く肥えたネズミだ。クマネズミかドブネズミか判別しかねるが、素早いながらも、大胆に振舞う。まだお天道様が中空に輝いているのにもかかわらずだ。

十代の大半を登山で遊んで過ごした私だが、山でネズミの姿を見かけることは極めて稀だった。たまに見つけても、それは死体であることのほうが多かった。山には天敵が多く、ネズミは弱肉強食のピラミッドの下位に属するだけに、警戒心の強い臆病な動物にならざる得ないのだろう。

しかし、東京の繁華街を駆け回るネズミたちには、むしろ傲慢不遜に駆け回っている感が否めない。おそらくは天敵がいないためだと思う。猫はペットフードに馴れすぎ、カラスはゴミ漁りの気楽さに安住している。動きの鈍い人間なんざ、ネズミには真の脅威とは思えないのだろう。

そんなネズミの大発生と、それに振り回される現代社会の脆弱さを描いたのが表題の作品だ。先日亡くなった西村寿行の代表作の一つでもある。著者が作中の登場人物に語らせているように、人間は自然を破壊しすぎたのだろう。

人間には、たしかに環境を自らの意志で構築する力がある。しかし、やはりその力は万能ではない。力に溺れて、自ら破滅の道を辿る可能性は否定しがたい。実際、過去に栄えた文明の多くは、自然破壊とともに衰退している。

地球の温暖化もまた、人間の驕り昂ぶりに由来するものなのかもしれない。冷暖房の完備した都会に住んでいると、気が付けない自然の変貌は確かに在ると思う。滅びの笛は、既に吹き鳴らされているのだろうが、人間の耳には響かぬものなのだろう。破滅が目前に現われて、ようやく人間はその愚かさに気がつくのだろうか。

犬を連れて、猟銃を背負って野山を駆け回った西村寿行には、都会人が気が付けぬ自然の警告が耳に届いていたのかもしれない。
コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする