ヌマンタの書斎

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「韓国民に告ぐ」 金文学

2007-09-19 09:33:27 | 
著者は中国東北部で生まれ育った朝鮮族の人です。経済発展著しい祖父の地である韓国を訪れて、そこで見て聞いて感じたことを書き記したのが表題の本です。朝鮮族の血を引きながら、育ったのは中国であるため、中国人としての意識と、朝鮮族の郷愁を併せ持つゆえに、その韓国への視線は非常に独特なものがあり、私も興味深く読ませてもらいました。

朝鮮半島の住民にとって、文明とは中華であり、中華に反発しつつも、憧れを抱き、シナの人々以上に忠実な儒教の民として歴史を育んできました。世界の中心であることに疑問すら持たぬシナの中華思想の、最も忠実な実践者、それが朝鮮半島の民なのでしょう。

率直に言って、シナの人々以上に中華思想及び儒教を体現したと評しても、そう間違いではないと思う。だからこそ、500年近く李氏朝鮮王朝は継続したのでしょう。世界的にも驚くべき安定した、つまり停滞した社会であったようです。だからこそ、その過去を美化して進歩、変化を嫌う意識がきわめて深く根付いた国民性を育んだ。しかし、そのために近代化に遅れ、日本の植民地とされたのですが、自らの頑迷さは無視しています。

中華思想と儒教の本国であるシナ以上に、儒教の理想を実現した朝鮮半島の人々は、凄まじいエリート意識を狽チたようです。度が過ぎたのか、儒教の開祖である孔子は、朝鮮族であるとの奇説を掲げ、中国人から失笑を買っている始末。

あげくに、経済発展の遅れた共産中国に、経済進出したは良いが、優越感を振りかざし、かえって中国人から軽蔑される傲慢ぶりを、著者に辛らつに書かれています。中国に対しても、優越感を示す韓国が、長年蔑視していた日本に対して傲慢不遜なのも当然といえば、当然なのでしょう。

たしかに中国を座標にして、儒教という物差しで計れば、日本は遅れた蛮族の国なのでしょう。でも、私に言わせれば、そこが勘違いのもと。

日本は確かに中国から法令や書物、工剣iなどを輸入しましたが、すべてを採用した訳ではない。例えば宦官や纏足は拒否しています。また儒教を学びはしましたが、あくまで教養としての扱いで、宗教として受け入れたわけではない。だから儒教で一番大事な礼記は、ほとんど取り入れていない。なにより科挙を採用しなかった。

あくまで日本人として、日本に有用なものだけを選んで輸入しているのです。さらに付け加えるなら、日本は歴史的に中国に対する敬意は、まず間違いなく持っていました。しかし、その中華文明の通り道にある国(朝鮮)にまでは、その敬意は及ばない。せいぜい、礼を失しない程度の配慮でした。

日本が学んだのは、あくまでシナの文化であって朝鮮半島の文化ではないからです。ところが、朝鮮半島の人々は、自分たちが日本を教化してやったのだと思い上がる。これは勘違いそのもの。

たいへんうっとおしいことに、この勘違いは絶対直らない。なぜなら、儒教という宗教に根ざした優越感からくる勘違いなので、理屈や論理を受け入れない。

似たような例として、イスラム教徒のキリスト教に対する優越感があります。この二つの宗教は同じ神をあがめますが、後発のイスラム教は最新の宗教として、キリスト教を見下してきました。実際17世紀までは文明的にも、イスラム社会のほうが先進国でした。

しかし、産業革命以降キリスト教社会が文明の中心となり、イスラム社会は発展途上国との位置づけになりました。欧米は時折、イスラム社会からの歪んだ優越感に責められましたが、その対応は冷淡そのもの。実害がない限りは無視し、そうでなければ実力による排除あるのみ。

日本も欧米に習って、冷淡に無視すれば良いのです。宗教的確信に論理や正論は通じません。間違っても、意味不明のジャパニーズスマイルで応じてはいけません。もっとも外務省が無視では困る。日本海・東海問題などは、韓国を相手にするのでなく、それ以外の国に対応すべきです。

どこの国でも、おらが国が一番との思いはあるのでしょうが、朝鮮半島の人々ほど激しいのは珍しいと思います。儒教を宗教として受容することを拒否した、日本の先人の英知に感謝すべきなのでしょう。
コメント (8)
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