ヌマンタの書斎

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「羅針盤の謎」 アミール・D・アクゼル

2008-10-10 15:50:00 | 
世界史という言葉には、ヨーロッパの傲慢さが見え隠れする。

元々、歴史というのは地域史あるいは民族史として生まれた。世界史という考えはなかった。ヨーロッパでは中世までは貿易にせよ、戦争にせよ、近隣の国々とのもので、地域を越えての交流は少なかったからだ。だから一般に、世界史はコロンブスの新世界発見から始まると教わったものだ。

実際、スペインやポルトガルの中南米への侵略と植民地化により、世界規模の経済活動が始まった。当時はそれを疑いもしなかった。

しかし、歴史を学ぶにつれて生まれる疑問。なぜにアジアを無視する。17世紀以前の世界はアジアが世界の中心であった。オリエントの古代文明から連なるイスラムの帝国と、シナの中華帝国こそが文明国であった。中世ヨーロッパで広く流布された「光は東方から」との言葉に言い表されるように、文明は東(オリエント)から来るものであった。

このユーラシア大陸の西南域と東部を結んだ最初の帝国がモンゴル帝国であった。世界規模の交易は、モンゴルから始まるとみるべきだ。大陸を貫くシルクロードが有名だが、交易量からいえばシナの港湾都市と、アラブの港湾都市をつなぐ海路交易のほうがはるかに盛んであった。

17世紀以前のヨーロッパは、ユーラシア大陸の西端の蛮人国の地域に過ぎない。たとえば、食卓の必需品とされた胡椒などは、産地である東南アジアでの産出量のうち、ヨーロッパまで行き着くのは2%程度に過ぎず、大半はインド、イスラムで消費されていた。ヨーロッパの経済力など、その程度に過ぎなかった。

ところがヨーロッパは、アフリカの喜望峰を越えてインド洋に達し、直接胡椒の買い付けをするようになった。あげくに、生産地を侵略して支配し、独占的支配を目論んだ。

鉄砲や大砲といった兵器をもって、アジア、アフリカ、中南米を支配下においたヨーロッパは、18世紀以降の世界の中心的存在に成り上がった。自らが踏みにじったアジアの栄光を無視して、世界史の座標をヨーロッパに置き換えた。

このヨーロッパの世界進出に大きな役割を果たしたのが、コンパス(羅針盤)だ。これなくして、大洋を越えての渡海はありえなかった。世界三大発明の一つとされる。

発明とされながら、実は羅針盤の発明者は不明だ。イタリアの都市国家で使われだしたのは確かだが、発明者とされるフラヴィオ・ジョイアって誰だ?

実在が疑われるフラヴィオの謎を解き明かし、羅針盤の謎に挑む表題の本は、なかなかに意欲作だと思う。ただ、やっぱり、アジアへの偏見からは抜けきらない。著者自身が、アジアへの蔑視観が真実を押し隠すと述べておきながら、追求が浅いのが不満だ。

羅針盤を完成させたのは、たしかにヴェネチアだと思うが、やはりシナからの渡来品を改良したものだと思う。羅針盤の原型であるコンパスは、シナの漢の時代には存在していた。ただ、その使用法が卜占中心であっただけだ。うろ覚えだが、戦争においても方位を知る手段として活用されていたと思う。

スペインとポルトガルが、羅針盤を実用に供して新世界への侵略の足がかりとしたことを思えば、人類史上きわめて重要な発明であることは間違いない。ただ、発明者はシナだと思う。イスラムとシナとの世界交易を軽視した姿勢が不愉快だが、それを除けば、けっこう面白い読み物だった。まあ、現在の文明が欧米基調である以上、仕方ないかもしれないが、それでも歴史上の事実は無視して欲しくないと思う。
コメント (4)
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