ヌマンタの書斎

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「生を踏んで恐れず 高橋是清伝」 津本陽

2008-10-17 12:12:10 | 
以前から思っていた。日本人って、戦闘と戦争を混同してないか?

武器を持って戦うことも戦争の一部であることは間違いない。武器をもって相手兵士を殺し、産業設備を破壊し、相手を追い詰めて、政治目的を達成することが戦争だ。戦闘は、戦争の一部に過ぎない。

しかし、戦争は武器をもって戦うだけでは成り立たない。武器を扱う人材の育成を担うのが学校教育だ。近代国家における学校教育は、人材の質的向上をもって国力増強を果たす役割を有する。

武器を自国で生産できるのが一番望ましいが、無理なら外国から優秀な武器を輸入する。また、武器には弾薬や整備器具、燃料が必要となる。また兵士は食わねばならぬ。食料の確保も当然必要とされる。いずれにせよ、金がいる。

国家への忠誠心や愛国心は金がなくとも問題ないが、武器と兵士と兵站(装備や食料)を揃え保持するには金が必要となる。戦争をするには、金が必要不可欠なのだ。

この視点で、改めて日露戦争を鑑みると、欧米から日本軍の資金調達を成功させた高橋是清の功績の偉大さがわかる。

歴史の評価には最低でも半世紀、できれば一世紀の間を置いてなす必要があると云われる。欧米を基調とした現代文明を歴史的に評価する際、一つのターニング・ポイントとなるのが日露戦争だと思う。

産業革命により飛躍的に増大したエネルギーを活用した欧米の軍隊に対して、有色人種の国が初めて勝った戦争が、日露戦争であった。また大量破壊兵器(マシンガンや榴弾砲)が実戦で有効であることが証明された戦争でもある。

この日露戦争の悲惨な戦いを踏み台として、第一次世界大戦はさらに悲惨で破壊的な展開をみせることになる。強大な経済力を背景に、破滅的な大量破壊兵器を活用しての殲滅戦が行われた。

日露戦争を見学したアメリカ、イギリス、フランスらは、連発式の銃の必要性を認め、野砲の有効性を確認して、兵装の近代化を目指すこととなった。

ところが資金繰りに苦労した日本は、金のかかる兵装の近代化に眼をそむけた。度重なる失敗により大量の戦死者を出したことを隠すため、従来の戦い方で正しいと誤魔化した。旧・日本軍の悪弊として名高い精神主義は、このときからお墨付きを得たと思う。

もし、日露戦争に負けるか、引き分けていれば、武器の近代化も進み、馬鹿げた精神論が跋扈することもなかったかもしれないと思うと、いささか複雑な気持ちだ。失策を犯した高級官僚の責任を問わないといった悪しき伝統は、日露戦争以後に始まったことを思うと、勝って兜の緒を締めなかった当時のエリートたちの傲慢さが、今更のように腹立たしい。

もし、日露戦争に負けていれば朝鮮半島の原住民は、シベリアや中央アジアに移され、朝鮮半島は白系ロシア人の入植地となっていたかもしれない。共産ソ連が日本のど元につきつけた匕首と化していたであろうことを思うと、やはり勝って良かったのだろう。歴史的に言えば、日露戦争の勝利こそが、日本を名実共に大国に押し上げたのだから。

現在の日本では、高橋是清といえば財政を立て直した名政治家として知られているが、日露戦争の勝利の陰の立役者であった功績も忘れて欲しくないものです。
コメント (4)
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