ヌマンタの書斎

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「AKIRA」 大友克洋

2008-10-28 12:18:05 | 
絵と漫画は違うと思う。

よく描かれた絵を観ていると、様々なイメージが絵から流れ込んでくる。川のせせらぎを耳にすることもあるし、森を渡る風の息吹を感じることもある。絵を鑑賞することにより拡がる想像力は、広大にして無辺だ。

しかし、漫画は違う。漫画の絵からはストーリーが提供されねばならない。そのために、漫画は絵を連続して並べ、吹き出しや擬音をまでも描いて、読者をストーリーに引きずり込む。拡がるイメージは、絵のそれよりは限定される。限定されるがゆえに、明確なストーリーが伝わるのが漫画だ。

また、漫画の絵には動きが感じられなくてはいけない。動きは変化であり、時間の経過でもある。漫画のなかで描かれる物語にリアリティがなければ、ストーリーが薄っぺらくなる。

単なる静止画の連続から、動画に近い表現が求められる。しかし、動画を目指しながらも、漫画は映像(映画やTV)とは異なる進化を遂げた。

20世紀は、漫画の進歩の世紀でもある。映画の手法を取り入れた手塚治虫。分業制を徹底したサイトウタカオ。漫画の作画者と編集者との協同作業をより作品の質を高めた集英社や講談社、小学館。映画やゲームといったマルチな展開を繰り広げたコロコロ・コミックなど、漫画の進歩は果てなく拡がった。

そんななかで、改めて絵の表現力に力を入れて、世界中に驚きの渦を巻き起こしたのが大友克洋だと思う。細緻にして大胆、豪放にして繊細、見たことの無い視点で描かれた、その絵が繰り広げるストーリーに誰もが引き込まれた。

表題の漫画を読んだのは20代の頃だが、その表現力の豊かさに驚嘆した。健康優良不良少年こと金田が、バイクに乗って廃墟のハイウェイを疾駆する場面の臨場感に引き込まれた。通常ではありえない視点から描く日常風景は、改めて漫画と言う表現手段の可能性を高めた。

確信があるわけでもないのだが、近年のハリウッド映画のCG特撮映像を観て、これ漫画で見たぞと感じることがある。大友克洋の漫画はその嚆矢だと思う。

実のところ、大友氏の画風は漫画界にこそ多大な影響を与えた。天才と言う言葉は安易に使いたくないが、他人に模倣されるほどの独自性こそ、大友克洋が天才である証左だと思う。
コメント (10)
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