情けなくなって、涙が出てきた。
北海道のど真ん中にそびえる大雪山連峰。その東南側に連なる山稜が、容易に人を近づけない石狩岳だ。技術的に難しい山ではないが、アプローチが悪い。大学一年の夏休みは、WV部の合宿である大雪山登山で始まった。
今はもう廃線になった国鉄のローカル線の終点駅にはホームがなかった。列車から飛び降りて下車したのは初めてだった。タクシーを予め呼んでおき、簡易な舗装をされた林道にはいってもらう。本来閉まっているはずのゲートが開いていたため、運転手さんのご好意で、林道の終点まで車でいけたのは僥倖だった。
なにせ、歩けば3時間かかる道だったので、重いザックに怯えていた私ら一年生は大喜びだった。大幅な時間短縮であったが、翌日からの石狩岳の登りの厳しさには変りは無い。
翌朝、まだ暗いうちから登りだしたが、予想通りの厳しい登りであった。ただ、予め覚悟していたので、思ったよりは楽に頂上までたどり着けた。しかし、地獄はここから始まった。
北海道は緯度の関係で、森林限界が2000メートル前後となり、後は高山植物の世界だ。本州ならば、儚いほどか細い高山植物だが、ここは違った。這い松が凶暴だった。
高山の吹き降ろす強風が、松の木が上に成長することを許さず、その結果地面を這うように幹を伸ばすことから、這い松と呼ばれる。アルプスなどではお馴染みの高山植物だが、北海道の原生林では、本州の這い松が可愛く思えるほどの強固な枝ぶりだ。
この這い松の生茂る稜線を、上り下りを繰り返しながら大雪山系の中心部へ向かうのだが、これが厳しい。這い松の枝が邪魔して、真直ぐ歩けない。それどころか、木登りよろしく、這い松の上を四つんばいで動く羽目になった。
背中に背負うザックは、重量が40キロを超える。単に登るだけなら慣れていたが、木登りまでは想定外だった。おまけに夏の日差しが容赦なく照りつけて、頭は朦朧としてくる。這い松を降りて、砂礫の登山道を歩くと、緊張感がほぐれて眠気さえ催すほどだ。
いきなり、頬を張られた。
「しっかり、眼を開けろ!」と前を歩く先輩にビンタされた上に怒鳴られた。ふと足元をみると、左側は這い松の切れ目で、崖となって数百メートルの断崖となっていた。背筋が凍った。
命拾いしたのは間違いない。ただ、無性に悔しくなってきた。なんで俺、こんなところにいるの?なんで、こんなに苦しんでいるの?情けなくって、惨めったらしくって、気がついたら涙が出てきた。
ビンタをかましてくれた先輩は、命の恩人なのかもしれないが、その時は怒りの気持ちのほうが強かった。ただ、情けないことに、疲労困憊で逆らう気力がなかった。
照りつける日差しと、流れる汗が涙をあっという間に消し去り、肩にのしかかるザックの重みが、怒りの感情を押し潰してしまった。はやくその日の幕営地に着きたいと切に願っていた。自分の弱さを人のせいにしている暇なんか、まるでなかった。
ただ、夜になり寝袋の中で思い出すと、やっぱりむかつく。なんで、ビンタされるんだと腹がたち、部活を辞めたくなった。手帳に退部届けを書いてみるが、いかんせん、ここは人里遠く離れた山の中。辞めるにしても、下山してからだ。下山したくとも、最低3日はかかる山奥だ。止む無く、悔しさを押し殺して眠りに付く。
根が能天気な私は、大概の嫌なことは忘れるが、それでもこの悔しさは忘れなかった。でも、やっぱり自分が弱いのが悪い。自分の弱さを、他人に押し付けるのは性に合わない。すげえ、情けないと思う。
最近、情けない男の、みっともない事件が多い。格差社会の落ちこぼれだか、なんだか知らないが、甘ったれるなと怒鳴りたくなる。手前の情けなさを棚に上げて、他人に八つ当たりするなと言いたくなる。更に言うなら、こんな野郎に同情するな。
今も昔も格差があるのが当たり前。秋葉原の無差別八つ当たり殺傷事件の犯人なんざ、私からみれば恵まれすぎ。身体が十分健康じゃないか。なにが、女にもてない、友達がいないだ。不満ばっかり垂れ流す奴と、仲良くなりたい奴なんざいるわけない。
途上国のスラム街の若者のほうが、よっぽど健全に思える。周りが裕福で、恵まれて見えようと、そんなの関係ない。まずは、自分自身を見つめなおせ。自分の幸せは、自分で掴むものだ。幸せは他人との比較ではなく、自分の心で推し量れ。
最近、雑誌などでどこぞの社会評論家が、賢しげに社会の不公正を原因に取り上げ、妙な擁護をしていて、無性に腹がたった次第。なんでもかんでも、社会のせいだとか、他人のせいにするな。まずは、自分を直視しろと言いたいね。
北海道のど真ん中にそびえる大雪山連峰。その東南側に連なる山稜が、容易に人を近づけない石狩岳だ。技術的に難しい山ではないが、アプローチが悪い。大学一年の夏休みは、WV部の合宿である大雪山登山で始まった。
今はもう廃線になった国鉄のローカル線の終点駅にはホームがなかった。列車から飛び降りて下車したのは初めてだった。タクシーを予め呼んでおき、簡易な舗装をされた林道にはいってもらう。本来閉まっているはずのゲートが開いていたため、運転手さんのご好意で、林道の終点まで車でいけたのは僥倖だった。
なにせ、歩けば3時間かかる道だったので、重いザックに怯えていた私ら一年生は大喜びだった。大幅な時間短縮であったが、翌日からの石狩岳の登りの厳しさには変りは無い。
翌朝、まだ暗いうちから登りだしたが、予想通りの厳しい登りであった。ただ、予め覚悟していたので、思ったよりは楽に頂上までたどり着けた。しかし、地獄はここから始まった。
北海道は緯度の関係で、森林限界が2000メートル前後となり、後は高山植物の世界だ。本州ならば、儚いほどか細い高山植物だが、ここは違った。這い松が凶暴だった。
高山の吹き降ろす強風が、松の木が上に成長することを許さず、その結果地面を這うように幹を伸ばすことから、這い松と呼ばれる。アルプスなどではお馴染みの高山植物だが、北海道の原生林では、本州の這い松が可愛く思えるほどの強固な枝ぶりだ。
この這い松の生茂る稜線を、上り下りを繰り返しながら大雪山系の中心部へ向かうのだが、これが厳しい。這い松の枝が邪魔して、真直ぐ歩けない。それどころか、木登りよろしく、這い松の上を四つんばいで動く羽目になった。
背中に背負うザックは、重量が40キロを超える。単に登るだけなら慣れていたが、木登りまでは想定外だった。おまけに夏の日差しが容赦なく照りつけて、頭は朦朧としてくる。這い松を降りて、砂礫の登山道を歩くと、緊張感がほぐれて眠気さえ催すほどだ。
いきなり、頬を張られた。
「しっかり、眼を開けろ!」と前を歩く先輩にビンタされた上に怒鳴られた。ふと足元をみると、左側は這い松の切れ目で、崖となって数百メートルの断崖となっていた。背筋が凍った。
命拾いしたのは間違いない。ただ、無性に悔しくなってきた。なんで俺、こんなところにいるの?なんで、こんなに苦しんでいるの?情けなくって、惨めったらしくって、気がついたら涙が出てきた。
ビンタをかましてくれた先輩は、命の恩人なのかもしれないが、その時は怒りの気持ちのほうが強かった。ただ、情けないことに、疲労困憊で逆らう気力がなかった。
照りつける日差しと、流れる汗が涙をあっという間に消し去り、肩にのしかかるザックの重みが、怒りの感情を押し潰してしまった。はやくその日の幕営地に着きたいと切に願っていた。自分の弱さを人のせいにしている暇なんか、まるでなかった。
ただ、夜になり寝袋の中で思い出すと、やっぱりむかつく。なんで、ビンタされるんだと腹がたち、部活を辞めたくなった。手帳に退部届けを書いてみるが、いかんせん、ここは人里遠く離れた山の中。辞めるにしても、下山してからだ。下山したくとも、最低3日はかかる山奥だ。止む無く、悔しさを押し殺して眠りに付く。
根が能天気な私は、大概の嫌なことは忘れるが、それでもこの悔しさは忘れなかった。でも、やっぱり自分が弱いのが悪い。自分の弱さを、他人に押し付けるのは性に合わない。すげえ、情けないと思う。
最近、情けない男の、みっともない事件が多い。格差社会の落ちこぼれだか、なんだか知らないが、甘ったれるなと怒鳴りたくなる。手前の情けなさを棚に上げて、他人に八つ当たりするなと言いたくなる。更に言うなら、こんな野郎に同情するな。
今も昔も格差があるのが当たり前。秋葉原の無差別八つ当たり殺傷事件の犯人なんざ、私からみれば恵まれすぎ。身体が十分健康じゃないか。なにが、女にもてない、友達がいないだ。不満ばっかり垂れ流す奴と、仲良くなりたい奴なんざいるわけない。
途上国のスラム街の若者のほうが、よっぽど健全に思える。周りが裕福で、恵まれて見えようと、そんなの関係ない。まずは、自分自身を見つめなおせ。自分の幸せは、自分で掴むものだ。幸せは他人との比較ではなく、自分の心で推し量れ。
最近、雑誌などでどこぞの社会評論家が、賢しげに社会の不公正を原因に取り上げ、妙な擁護をしていて、無性に腹がたった次第。なんでもかんでも、社会のせいだとか、他人のせいにするな。まずは、自分を直視しろと言いたいね。