ボクのおじいちゃんやお父さんは、侵略者であり帝国主義者なので悪い人間です!
そのように祖父、父を誹謗する子供がいたとしたら、おかしいと思う方が普通だと思う。父や祖父が兵士として外国に赴き、そこで戦ったことがあれば、そこには敵の死や破壊があったと考えるのが普通だろう。
だが、国家の命令で敵と戦ったのであり、その子供が胸を張って口にするなら分る。しかし、親たちのしたことを、子供が誹謗することには違和感を禁じえない。
たとえ戦争が悪いことであったとしてもだ、身内ならばそれをかばうのが常識だと思う。かばうのが無理なら黙っている、それが人として当然のことだと思う。
立場を変えてみれば、より一層分りやすい。子供が戦争に徴用されて、敵国で人を殺し、破壊行為をしたとしよう。しかし、その戦争は負け戦であり、敗残兵として惨めに帰国してきた。世間は無情にも、敗残兵を罵り、唾を吐きかけて迫害してきたとしよう。
親ならば、どうする?
当然だが、親なら子をかばうはずだ。間違っても世間と同じように罵倒したりしない。それが親子の情というものだ。たとえ法が我が子を罰しようと、親子の情まで裁けるものではない。
たとえ戦争といえども人を殺すのは悪いことかもしれない。破壊行為は褒められたものではないとも思う。しかし、一個人の力では、どうしようもないことは多い。
時代の流れ、組織の論理、抑えようも無い集団的激情などは、一個人の思惑を離れて人々に無理強いを押し付ける。どうして、それを非難できようか。まして身内である。
ところが、それが分らないバカがいる。困ったことに最高学府を出ているばかりでなく、最高学府で教鞭を執るほどの脳みそを持ちながら、人としての情理が分らない。
このバカどもが、戦後の日本に反日自虐史観を押し付けた。表題の本は、谷沢永一が一人一人、反日自虐史観の推進者たちの名を挙げて、具体的に反証したものだ。
代表的な11人が取り上げられているが、驚いたことにその大半が東京帝国大学、つまり現・東大出身者だ。谷沢氏はとくに気にしていないようだが、私には落ちこぼれエリートの復讐に思えて仕方なかった。
現在でこそ東大は、日本における最高学府とされているが、戦前は三番手に過ぎなかった。上位2校は、陸軍中野学校と海軍江田島学校であり、東大はこの二校に入れない程度のエリートの行き落ち着き先に過ぎなかった。
中野か江田島ならば、大臣クラスへの立身出世は当然であったが、東大では難しかった。これが戦前の常識であったが、敗戦により二校が廃止され、落ちこぼれエリートの逆襲が始まった。
作家の源氏鶏太が三等重役と称したように、民間企業にあっては、この落ちこぼれエリートこそが戦後復興の立役者となった。官庁でも、この三等エリートたちが戦後復興の道筋を立てたのは確かだと思う。
しかし、象牙の塔のなかにおいては、この三等エリートたちが既成の価値観をぶち壊し、日本国民及び日本社会そのものを誹謗中傷して、自らを至高の頂点に持ち上げるといった下賎な振る舞いが横行していた。その中味を明らかにしたのが、本書なのだ。
自虐史観を止めたいと思うのならば、まずその自虐史観の主導者たちの経歴を洗い出し、何をどう述べたのかを知ることは、極めて有益だと思います。興味がありましたら、是非ご一読を。