ヌマンタの書斎

読書ブログが基本ですが、時事問題やら食事やら雑食性の記事を書いています。

プロレスってさ ローラン・ボック

2011-04-05 12:18:00 | スポーツ

プロレスラーには、リングネームが付けられる。有名なところでは「燃える闘魂」のアントニオ猪木がある。たしかに猪木のイメージに合っていると思う。

他にも「大巨人アンドレ・ザ・ジャイアント」(・・・かぶっているぞ)とか「鉄の爪フリッツ・フォン・エリック」「生傷男ディック・ザ・ブルーザー」など、一度聞いたら忘れられないものがある。

なかでも似合いすぎというか、出来色だったのが「墓堀人ローラン・ボック」だ。墓堀人ですぜ、墓堀人。不気味でしょう、薄気味悪いでしょう。

一体全体、どんな奴かと思ったら、とんでもなかった。アントニオ猪木が世界一を自称していた頃、世界を股にかけて遠征して、各地でプロレスの試合をやっていたことがある。

有名なところではパキスタンで当地の人気レスラーの腕を折ったり、ブラジルで巨人レスラーと戦ったりと、いろいろやっていたらしい。おそらく放送権というか、権利の問題でそれらの試合の映像は、当時ほとんど日本で観ることができなかった。

だからプロレス雑誌に記載された記事で、想像逞しく試合を楽しむしかなかった。その猪木の世界遠征のなかで、もっとも苦戦し、遂に勝利を得れなかったのが当時ヨーロッパ・チャンピオンであったローラン・ボックとの試合であった。

そのボックが日本に来るという。こりゃ観るしかないといきり立ったが、当時大学の部活が忙しく、生で試合を観ることは叶わなかった。でも、TVで観るだけでも十分楽しめた。

なにしろ暗い。雰囲気が暗いのだ。アメリカのプロレスラーが見せる明るさとは無縁であり、リングの上にぬっと立つだけで、不気味な雰囲気が漂っていたのだ。

がっちりとした身体つきだが、決して筋肉隆々といったタイプではない。その動きは素早くもなく、むしろ鈍重な感させるが、それでいて目を引きつけてやまない力強さがある。

プロレスの楽しみの一つは、技の掛け合いにある。しかし、ボックはそれを拒否しているようで、むしろ一方的に攻め立てる。その投げ技がえぐい。

最初に対戦したのはアマレス出身の長州力だったが、その長州に受身を許さない角度で、しかもリングの中央の鉄骨が十字に組まれた部分の上に、スープレッスクを叩き付けた。

あのハンセンのラリアットを何度も受けた強靭な首を持つはずの長州であったが、ボックの受身の取りづらいスープレックス一発でKOだった。試合が終わった後でさえ、真直ぐに歩けず、その後休業してしまったほどだ。

墓堀人とは、よくぞ付けたものだ。事実、ボックはその強さで長年チャンピオンに君臨しているにも関らず、当地でも人気レスラーとは言いがたい存在であったらしい。なにせ、対戦相手を怪我させる悪い癖がある。これでは嫌われる。

シリーズ最終戦での猪木とのシングルマッチは、異様な雰囲気が漂った。本来盛り上がるはずの試合なのに、歓声すらほとんど聞こえない静かな、それでいて落ち着かない、妙な雰囲気であった。

珍しく猪木が緊張しているのが分った。そしてボックは、相変わらず無表情で上目遣いに猪木を睨んでいる。TVで観戦していたが、それでも試合が盛り上がっていないことは感じ取れた。

その代わり、滅多に観られぬ緊張感の漂う不気味な試合であった。猪木もボックも、互いに相手の技を受ける気がないようで、探り合いが続いた。時折、技に入りそうになるが、互いに必死で逃げるせいで、技がまともにかからない。

本来ならば、こんなしょぼい試合はありえない。プロとして失格だと言いたいが、これほど緊張感の漂うプロレスの試合ははじめてだった。時間にして10分に満たなかったと思うが、終わった時TVの前で大きくため息をついたことは、よく覚えている。

猪木という人はとんでもない大法螺吹きであり、人間的にはとても信用できる人ではない。しかし、プロレス界きっての受身の名人であり、試合を盛り上げる名人でもあった。

その猪木をもってしても、盛り上げることが出来なかったのが、墓堀人ローラン・ボックとの試合であった。実際、猪木自身、こりごりしたようだ。

来日回数は極めて少ないが、これほど記憶に刻まれたプロレスラーは珍しいと思う。

コメント (1)
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