お金を稼ぐ才能というものは、確かにあると思う。
私が十代の頃の憧れといえば、やはりバイクだった。暴走族のイメージを持たれる方も多いと思うが、純粋にオートバイで走るのは楽しいと断言できる。
あまり金がなかった私は、もっぱら自転車で駆け回っており、多少パチンコで小銭が稼げても、せいぜいスクーターが精一杯だった。でも、50ccのスクーターだって十分楽しかった。
暇はあっても金がなかった浪人時代、予備校の仲間とスクーターで江ノ島まで走らせたことがあるが、実に楽しいものだった。なかでも、海風を受けて海岸沿いの道を走る気持ちよさは忘れ難い。
自分の足で漕がねばならぬ自転車だと、夏は汗だくになるが、エンジンが駆動するオートバイはアクセル一ひねりで風を切って道を走れる。車のように保護されていない分だけ、風を体感できるが故に、オートバイとの一体感を楽しめる。
ただ、オートバイは高い。お金がない十代の若者には、中古といえどもなかなか手が出せない。まして、バイトする時間が限られる高校生なら、なおさらである。
高校の同級生であるKもまた、オートバイに恋焦がれていた。お気に入りは川崎重工のLTDである。チョッパー・タイプの400ccであり、当時でさえ税、保険込みで40万近くした。そのほか、自動車教習場での免許取得費用もかかる。総額で50万ちかいお金が必要だった。
いくらアルバイトに励んでも、容易にたまる金額ではない。ところがだ、Kの奴は実質2ヶ月あまりで、その資金を稼ぎ出して、念願のバイクを手に入れた。
いったい、ぜんたい、どうやったんだ?
Kのアルバイトは、道路沿いのお弁当屋さんだった。時給は当時で700円程度。週三日シフトに入っても、稼げるのはせいぜい、月十万強だと思う。
Kは普通高校の学生であり、部活(先輩と喧嘩して辞めた)をやっていないとはいえ、それほど暇ではない。クラスの皆は、どうやって稼いだのか不思議で仕方なかった。
以下、当のKが語るところによる、オートバイ購入資金入手の全貌である。とにかく、最初は明るく真面目に、そして誰よりも熱心に働く姿をみせたそうだ。その姿勢を評価されたKは、すぐに一人で店番を任されるまでに信用された。
ここからが彼の腕の見せ所である。このお店では生鮮食品を扱っており、一定時間が経過すると廃棄処分される。野良犬や浮浪者に奪われるのを防ぐため、鍵つきの倉庫に保管して、翌朝に業者が引き取りにくる。
この廃棄食品の管理は正社員の役目であるが、なにぶんゴミの廃棄は楽しい仕事ではない。仕事を手伝ううちに信頼されたKは、一人で夜間のゴミ保管を任されるようになった。
正社員が夜10時過ぎに退社して、一人で店番を任されたKは、倉庫に戻って廃棄された生鮮食品のうち単価が高く、かつ安全と思われるものだけを選別して、なんと勝手に店頭に並べてしまった。
そして、その商品だけはレジを打たずに売り上げた。もちろん、その売上は全て彼のポケットに入り込んだ。K曰く、捨てられたものを処分しただけさ、とのこと。
なんか違法の匂いが漂うが、この手法で短期間の間にバイク購入資金を蓄えたそうだ。頭のいい彼は、廃棄商品の一部しか手をつけず、翌朝出勤した正社員たちは、誰も気がつかなかったそうだ。
こうしてバイク免許と念願のオートバイを買った彼は、あっさりとバイトを辞めた。目的(バイク)を達したら手段(お金)に固執しないところが、彼らしい賢さだと思う。
私の高校時代の遊び仲間は、大半が大学へ進学しているが、彼だけが働き出した。そして、出世を重ねて、私らのなかでは出世頭となった。
頭は悪くないと思うが、勉強は好きでなかったKには、大学よりも実社会のほうが活躍しやすかったのだと思う。正直、法の許す範囲のギリギリをフラフラと綱渡りするようなところはあったが、悪の道に転落することなく、堅気の社会人を貫いている。
そして、私の知る範囲でも、転職して出世している数少ない実例でもある。大卒の肩書きを持たずに、これだけ活躍できるのだから、やはりビジネスの才能を持ち合わせているのだろう。
ちょっと羨ましいですね。