突然夜中に飛び起きた。
体の中に妙な空白感があって、私はそれを空腹だと理解した。とりあえずコーンフレークを食べて、おやつに蜜柑を食べながら、でもちょっと違うなぁと妙な違和感を感じていた。
明けて土曜日。仕事に行くつもりであったが、どうも体が重苦しい。もしかしたらの思いが拭いきれない。実は数年前だが、先代の故・佐藤先生が心筋梗塞で入院して、開胸手術をやっている。その時に聞いた症状に酷似しているのだ。
念のためネットであれこれ検索してみると、やはり心筋梗塞臭い。明日は朝から出かける用事があったので、月曜日にでも病院に行くかと考えて、早めに床に就く。
そして、再び夜中に飛び起きた。奇しくも同じ時間帯であるが、今度は左腕が痺れるように痛く、左胸は締め付けられる。これは危ないと思い、生まれて初めて119番に連絡して救急車を呼ぶ。
待つ間に、健康保険証など最低限の準備を済ませる。救急車のサイレンが聞こえてくると、自宅の電話が鳴り救急車からの確認であった。もう一度番地を告げて待つが、どうもサイレンは近づいてこない。
窓から覗くと、なんと隣の建物の前に駐車している。待ちきれなかったので、革ジャンを羽織り、鍵を締めて家を出る。少し苦しいが、救急車まで行き、私が通報者だと告げて乗り込む。
どうも、この時点で救急隊員は私を偽装患者ではないかと疑っていたらしい。ところが車内の心電図で「こりゃ、本物っぽいよ」などと囁き(聞こえてるっちゅうの)、搬送先の病院を探す。
私が希望した病院は、心臓の当番医師がいないとかで、どこか聞いたことのある病院名を告げられた。後日分かったのだが、高校の時の通学路沿いにある病院だった。
救急隊員から近親者を教えてくれるよう指示があったので、ポケットのメモに予め書いておいた妹を指定する。この時点で既に4時を過ぎている。
ここから病院でレントゲン、エコー、造影剤を注入してのCT検査と忙しない。そうこうしていると上の妹が到着。軽く挨拶して、それから2時間ほどのカテーテル手術となった。
ところが、ここからが長かった。局所麻酔だけだったので、手術中は意識がしっかりしていたので、術中の医師の困惑した声が直に耳に入る。どうみても既に2時間は経過している。結局終わったのは昼前であり、5時間を超す手術となってしまった。
手術が長引いたのは、私の心臓まわりの血管が異常に太いためだった。通常は2ミリ程度なのに、私の血管はその倍以上あった。だから、本来は詰まりにくい血管であり、三本ある動脈のうち二本は至って綺麗だったらしい。
問題は心臓の裏にあるもうひとつの動脈の先に瘤があり、その直径は10ミリもあり、血液が滞留してそれが血栓となって詰まってしまったようだ。あまりに血管が太すぎてステントは使えず、また血栓も大きすぎて除去が難しい。
局所麻酔だけだったので、私の耳には執刀医の困惑する声が入ってくる。かなりの難儀の末、バルーンで血管を広げ、血栓を溶かす薬をカテーテルから流し続けることで、詰まった部分を改善することに落ち着いたようだ。それゆえに長時間の手術となってしまったらしい。
気の毒だったのは妹で、処置室の近くにいるようにと指示されていたので、6時間あまり待機させてしまった。妹よ、済まなかった。そしてありがとう。
それから3階のICUに運ばれて、数日をここで過ごすこととなる。これがまた難儀であり、ひと悶着起こしてしまった。