「女はみんな、さよなら上手。」
この一節だけは忘れずに覚えている。題名も、歌詞もメロディも忘れたが、この歌を歌っていたのが加藤登紀子だということも覚えている。
「知床旅情」や「一人寝の子守唄」などのヒットで知られる加藤登紀子なのだが、私はあの冒頭の一節にひどく傷つき、落ち込んだせいで、あまり積極的に聴きたくない歌手でもある。
別れを綺麗に演出するのは構わないけど、主役は女性であり、引き立て役の哀しいピエロを演じさせられる我が身としては、素直に肯き難い。
だが、彼女の半生を綴った表題の本を読んでみて分かったのは、さよなら上手を望んでいたのは、ほかならぬ加藤登紀子本人であったことだ。
彼女の配偶者は、学生運動の指導者の一人として知られた藤本敏夫氏だ。70年安保に敗れ、内ゲバによりかつての仲間からリンチを受け、警察からも追われた波乱万丈の生き方をしていた人でもある。
加藤登紀子との獄中結婚が有名だが、藤本氏は収監中に農業に目覚め、出所後は無農薬の農業に傾唐オていく。一方子育てと歌手活動に人生を捧げた妻には、それなりの覚悟があり、そう簡単に農家の妻となる訳にはいかなかった。
藤本氏を嫌った訳ではない。ただ、二人の生き方の違いが相剋を産み、葛藤を引き起こし、何度も離婚の話し合いをする。が、分かれることはできなかった。
綺麗に、さっぱりと、さよなら出来たのなら、あれほど苦しむことはなかっただろう。「女はみんな、さよなら上手」の歌詞は彼女の魂の叫びだったのではないだろうか。
男と女が、きれいに分かれるなんてゆめ物語。せいぜい、距離と時間を置いて消え去るように別れるぐらいが関の山だ。私はいつまでたっても、さよなら上手にはなれそうもないね。