ヌマンタの書斎

読書ブログが基本ですが、時事問題やら食事やら雑食性の記事を書いています。

入院記 その二

2013-02-14 09:42:00 | 健康・病気・薬・食事

難病に苦しんだ20代の頃には、延で2年近く入院している。

しかし、ICU(救命救急センター)に患者として入るのは初めてだ。手術を終えて日曜の午後から月曜の夕方までは、睡眠薬等を投与されていたので、あまり明確な記憶がない。

ただ、妹と事務所のスタッフにはえらく心配をかけてしまい、それだけに早く復帰せねばとの決意を固くしたことだけは、はっきりと覚えている。

私は鼠径部(股間ね)からカテーテルを挿入され、右足はすぐに抜かれたが、左足付け根からのものは、血液をサラサラにする薬剤を投入するためにそのまま残置されてあった。

当然、身体を起こすことは出来ないし、左足を動かすことも厳禁であった。これが問題であった。なにせ、私の寝相は良くない。

鼠径部からのカテーテル残置は、20代の頃に経験済みなので、それほど不安はなかった。しかし、足が無意識に動くのを止めるのは至難の技であった。

おかげで看護師から頻繁に注意を受けた。でも、意識して動かしている訳ではないので、注意されても無駄だ。私だって好きで動かしている訳ではない。

ただ、右足は多少動かせるので、それだけが救いだった。私にとって最大のストレスは、左足を動かす度に看護師から強く注意されることだ。繰り返すが、無意識の動きは、いくら怒られても止まらないぞ。

事件が起きたのは深夜であった。うつらうつら寝ていた私は夜中に目を覚ました。妙な違和感がある。なんと両足が動かせない、いや、多少動かせるが、すぐに足首を縛られてベッドの柵に結ばれていることに気がついた。

瞬間的に脳内湯沸かし器が沸騰した。

なんじゃ~、これは!

叫ぶと同時に脚をばたつかせて騒音を立てた。驚いて駆け寄る宿直の医師と看護師。怒り、興奮冷めやらぬ私と彼らとの激しいやり取りの後、右足の紐ははずされた。当然である。

でも、左足については、私も納得していた。これは致し方ないと思うからだ。でも、元々ある程度動かしていいと云われていた右足は、あんまりである。縛られるストレスが如何程のものなのか、よくよく考えて欲しいものだ。

ところが翌朝から、ICUの看護師さんたちの私への態度が急変した。どうやら問題患者と認定されたようで、予定よりも早くに一般病棟へ追いやられてしまった。

まぁ、私としては本望なので文句はない。今回のことで分かったのは、ICUというところは緊急時の患者の受け入れ場所で、患者個人の気持ちとかストレスには、案外無関心であることだ。

これは致し方ない部分もある。命の危険があるからこそのICUなのだ。患者のわがままにまで付き合うゆとりは少ないのであろう。一応書いておくと、私は胸の痛みがなくなったので安心していたが、実際は心筋の一部が壊死している状態であり、決して安心できる状態ではなかったらしい。

ただ、怒って怒鳴るぐらいの元気があるなら、一般病棟でも構わないと判断されたらしい。公平を期すために書いておくと、ICUの全ての看護師が事務的に私に対処していた訳ではない。

私のストレスを勘案してくれて、背中をさすってくれたり、無駄話に応じて気遣いしてくれた人も確かにいた。でもICUは忙しすぎる。私一人にかまってはいられないのだろう。その意味で私はわがままに過ぎたと思う。

でも反省なんてしていない。脚を縛るのなら事前に説明があってしかるべきだ。納得した上で拘束されるのなら、私だって我慢した。縛りでもしないと無意識で左足を動かしてしまい、その結果出血する危険性ぐらいは分かっているからだ。

ただ、この一件はかなり後に響いた。担当医ともこの件では、何度となく話し合うこととなったが、未だ互いに完全に納得している訳ではない。看護師にせよ医師にせよ、プライドのかなり高い人たちなので、そう簡単には納得できないのだろう。

でも、私は病院通いが長く、医療というものを過信してはなく、むしろ不完全なものだと諦めているぐらいだ。可能性の中でのベターの選択がせいぜいだとさえ考えている。単に医療の権威だけを振りかざされても、私は納得できないのだ。

たしかに医療は身体を治すことに特化しているのだろう。でも、心と身体は一体であることを忘れて欲しくない思う。

コメント (4)
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