ヌマンタの書斎

読書ブログが基本ですが、時事問題やら食事やら雑食性の記事を書いています。

闇の子供たち 梁石日

2015-02-06 12:04:00 | 

善意ですべてが解決することはない。

とりわけ解決が難しいのが人間の本能に根ざす行為だ。人は理性ある生き物ではあるが、本能の誘惑には勝てない。これはいくら法律や制度で厳しく縛っても、抑えることは難しい。

苦痛に耐えることは出来るかもしれない。しかし、快楽に抵抗できる人は極めて少ない。とりわけ生殖本能に根ざした快楽を抑制することは不可能に近い。いかなる厳格な法律も、厳しい戒律も、本能を完全に抑え込むことには失敗している。

言っておくが、私は幼児売春には反対だし、ましてや子供の臓器販売なんて、もってのほかである。しかし、その非道さ、残虐さ、無慈悲さを告発するだけでは解決しない。いくらデモ行進しても、なくならない。

はっきり言えば、善意で本能は抑えきれない。

だが、解決策がない訳ではない。幼児売春を無くすには、親に子供を売らせないことだ。人類にとって、長い間子供の数が多いのは、働き手が多いことを意味していた。大事な働き手を売るようなことはしない。

しかし、近代化と資本の集中による工業が成り立つと、その効率化され、大量生産された製品に手工業品、農産物は価格競争力をなくした。いくら苦労して働いても、それに見合う対価を受けることが出来なくなった。

経済の近代化とは、農業漁業の犠牲のもとに推し進められた。流通の発達は、かえって貧困と格差を拡大させることにつながった。その結果、かつては貴重な労働力であった子供の価値が大きく損なわれた。

子供がいくら親を手伝って働いても、その対価は少なすぎる。先進国ならば、子供を学校へ行かせて高等教育を受けさせて、近代工業に従事させることが可能だ。しかし、後進国ではそもそも学校教育自体が未成熟だ。

かくして、親は子供を売ることになる。これを非人道的というのは容易い。しかし、近代資本主義こそが、後進国における子供の価値を貶めた張本人である。

親が自ら生き残るために子供を売り払う。それを一方的に非難することに、私は違和感を禁じ得ない。

だからといって、幼児売春を肯定する気はないし、ましてや臓器売買などひどすぎると思う。そう思う人は少なくないため、この本で書かれているような幼児売春の悲惨な実態を告発し、幼児の臓器売買の非道さに抗議の声を上げるのであろう。

だが、この本で描かれているように、救われるのはホンの一部だけで、大半はおぞましき利権が温存され、告発者が惨殺され迫害されることで終わっている。

善意の告発では解決できないのが現実だ。

即効性のある解決策は、おそらくない。残念ながらない。だが、まったく解決不可能だとも思わない。まずは貧困対策から始める事だろう。高付加価値のある商業作物を作らせて、収益を上げられるようになれば決して子供を売りはしない。

実を云えば、現時点で一番収益性の高い農産物は芥子である。つまり麻薬の原材料こそが最も貧困対策になっている。だが、これはこれで犯罪性があり、国際的な支援は出来ない。

そこで一部のNGOでは、商品性が高く、高収益な農産物などを途上国の農家に指導している。商社なども協力しているようで、時間はかかるが農家が貧困から抜け出せれば、子供を売り払うようなことはしなくなるはずだ。

もちろん簡単ではない。農業というものは天候に左右され、また鳥や獣、害虫などの被害もあり、決して安定している訳ではない。また高値で売れると分かると、農家のほうでも足元をみてふっかけてくることも珍しくない。決して簡単な道ではない。

しかしながら、金銭的な欲望を充足させることで、子供の売却を止めさせることは出来る。いささか、あざといのかもしれないが、善意だけでは解決しない問題なので、時間がかかっても推し進めるべきだと考えています。

コメント
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