ヌマンタの書斎

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最高裁大法廷へ 民法訴訟

2015-02-24 13:19:00 | 社会・政治・一般

守るべきものは何なのか、それが今問われている。

日本の法令のなかでも民法は、日常生活に係る非常に重要な法律である。明治維新とその後の立憲国家体制の構築のなかで、明治政府が民法の手本としたのがフランスのナポレオン法典である。当時、最先端の進んだ民事法である。

先進国への脱却を目指したのは、欧米と互角の立場になりたかったからで、其の為に日本は先進国であることを立証するための民法輸入であった。もっとも、フランスからやってきた民法学者は、この明治政府の要請に対して「とんでもない暴挙だ」と反対していた。

当然である。フランスで編纂された民法は、あくまでフランスの歴史的風土、国民生活の慣習、行政機構との整合などから編み出されたもので、歴史も文化風土も行政機構も異なる日本に導入すること自体が、無理というか不合理であった。

しかし、先進国並みの社会法制度の構築を目指した明治政府は、この無理な翻訳法を強制的に導入した。当然、無理が出るのは分かっていた。だから裁判や国会での審議を通じて、少しずつ少しずつ修正していった。

この世界史に類例を見ない奇態な取り組みは、明治から昭和、平成を通じて今も断続的に行われている。帝国大学から続く国立大学の法学部の大きな役割は、この翻訳法を日本の社会風土に合わせることであった。

法曹家の書棚に並ぶ膨大な判例集こそ、その努力の成果の賜物である。しかし、長い歳月が目的を陳腐化させた。本来、民法とは社会風土の変化に応じて改正されるべきものである。

しかし、難関な国家試験である司法試験を潜り抜けた若き法曹家たちは、いつしか変化に対応することよりも、固守することを選んでた。それは裁判官や弁護士だけではない。法務省を始めとした官僚たちも同様である。

更には、行政(役人)主導の立法が日常化している国会が、その傾向に拍車をかけた。結果的に法制度、社会制度が時代の変化に十分対応しているとは言いかねる現状を招いた。

今回、最高裁が大法廷での審理を予定しているのは、一つが夫婦別姓問題であり、もう一つが女性の再婚制限である。

私は夫婦別姓には、必ずしも賛成ではないのだが、女性が再婚する際の180日ルールは、もはや時代に合わないものだと確信している。今回、大法廷が如何なる判断を下すかは不明だが、古のルールを守ることだけが司法ではあるまい。

江戸時代にさえなかったおかしな規制を守ることに、何の意義があるのか。試験勉強で学んだことを守るのではなく、司法が国民を守るためのものであることを、よくよく考えて欲しいものである。

コメント
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