古来より日本の統治者がもっとも警戒し、細心の注意と、断固たる覚悟をもって臨んだのが、海の向うの超大国シナとの外交であった。
ユーラシア大陸の東部において、最も隆盛を誇り、高い文化と強大な軍事力を持つシナは、油断ならぬ侵略者であると同時に、誇り高い教師でもあり、決して無関心ではいられない。
国土を接している朝鮮や西蔵、ヴェトナム等の国々も、この超大国との付き合いには苦労している。時には妥協し、時には屈辱に身を染め、いざとなれば剣を取る。それがこの超大国シナと接する国々に課せられた宿命であった。
ただし、この2世紀あまりシナは「眠れる獅子」というか「寝ぼけた老獅子」に過ぎない現実を、欧米の帝国主義の下で露呈してしまった。そのため、シナ各地に租界という名の治外法権地を欧米に作られる始末。
挙句の果てに、倭と軽んじていた日本に満州を奪われ、中華の地にその侵略を許す醜態まで曝すことになる。ここにきて、ようやく眠れる獅子は目覚めた。もっとも、その道筋は険しく、散々仲間割れの後に毛沢東率いる人民解放軍が、国民党を台湾に追い落とす形で決着がついた。
ようやく統一されたものの、長きにわたる戦争の傷跡は深く、国家再建には膨大な時間と労力がかかった。あげくにお得意の仲間内での足の引っ張り合いが始まり、飢餓と経済政策の失敗により戦後30年余りを無駄に過ごす羽目に陥る。
偉大すぎた毛沢東の死と、その後の権力争いを制した北京政府は、自力での経済立て直しを諦め、外国から資本、技術、人材を投入することで、ようやく発展の糸口にたどり着いた。
以来20年余り、新たな成長市場を必要としていた欧米、日本の経済支援を受けて、ようやく発展途上国から先進国への入り口へと顔を覗かせた。元々、10億を超える人口と、あまりに遅れた経済ゆえに、外資の導入による成長は著しかった。
だが、所詮は外資の支援あっての経済成長であり、シナ独力で為し得たものではない。おまけに一足飛びで経済成長を推し進めた結果、国内に矛盾が拡大することとなる。
国営企業を乗っ取り、公権力を恣意的に用いて大金をせしめた富裕層と、相変わらず貧困に喘ぐ大衆の格差は、国内に不安を呼び起こすこととなる。そのためにガス抜き装置として、反日という便利な手法があった。しかし、やり過ぎた反日騒動は日本企業のシナ離れを招いた。
技術、資本に加えて国内で調達できない部品の調達に大きな役割を果たしてきた外資の離反は、北京政府にとって頭の痛い問題である。また世界第二位の経済大国となったという自負が、アメリカが事実上支配する世界の金融市場での制約を許せなかった。
如何にユーロが拡大しようと、世界の貿易の過半はドルにより決済される。ドル、ユーロ、円の三極体制は密接につながっており、人民元の付け入る隙は、容易には見当たらない。残酷な言い方だが、世界の誰も人民元を必要としない。だからこそ、交易によりドルを入手する必要があった。
何時の世も、支配するために必要なのは軍隊と裁判所、そして貨幣鋳造権を握ることだ。巨大なシナという国家を支えるには、自分たちが支配できる国際通貨が必要となる。
そのための第一歩が、今話題のアジアインフラ銀行である。北京政府が支配し、思うままに資金調達を可能とする国際金融機関が必要なのだ。これはアメリカからすると、国際通貨ドルへの挑戦状である。
アメリカ政府とて、巨大なシナの市場とその成長は必要だと認めている。いや、切望している。しかし、自国の覇権への明白な挑戦状が突きたてられた以上、それに素直に乗ることなんか出来やしない。
さりとて、あの巨大な市場から排除されるのは避けたい。ヨーロッパの国々は、両大国の葛藤を冷静に眺めつつ、どちらに転んでも不利にならないよう、保険の意味でシナの思惑に乗った。
果たして、日本はどうするべきか。どうやら設立には参加しないようだが、その判断はアメリカの意向を酌んだものであろう。国防をアメリカに委ねている日本としては、アメリカの覇権に挑む金融戦争ならば、断じてアメリカの敵になるべきではない。
おそらくアジアインフラ銀行への不参加は、シナ市場における日本企業の立場を弱めるだろう。だが、経済第一で判断してはならない。日本はアメリカの勢力下にあってこそ繁栄を謳歌できた。そのことを決して忘れるべきではないと思う。