ヌマンタの書斎

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プロレスってさ 曙太郎

2015-04-13 13:51:00 | スポーツ

膝を壊したら、アスリートとしては御終い。だけどプロレスなら出来る。そんな典型が元横綱・曙であった。

角界を引退後、選択を誤ったとしか言いようがない。すぐにプロレスへ転向すべきであった。しかし、当時、プロレスの人気は地に落ち、代わって総合格闘技が新たなエンターテイメントとして脚光を浴びていた。

曙は、よりにもよって総合格闘家として再デビューしてしまった。だが、膝を壊した曙は連戦連敗で、あまりの醜態に角界から、恥さらしとの誹謗が出るほどであった。私もTV観戦したが、あまりに身体が動かなさ過ぎた。

これは、はっきり言うが曙は相撲取りとしては非常に強かった。今のモンゴル人力士とは別次元の強さであった。なんといっても、あの長い手を活かした突き押しは、文字通りの必殺技。

体重200キロを超す巨漢力士の大乃国を、あの突き押し一発で土俵の外に吹っ飛ばしている。この敗戦のショックから立ち直れず、大乃国は場所後に引退を決めている。

また、幕下の頃から多くの力士を突き押しで、土俵の外に押し出して、少なからぬ力士を怪我させ、あるいは引退に追いやっている。まさに壊し屋であり、ガチンコに強い本物の強者であった。

しかし、「相撲は喧嘩ネ」と本音を語りバッシングを受けた小錦とは異なり、曙自身は相撲に対して誠実であり、若手の稽古に胸を貸し、丁寧な言葉遣いと、礼節を弁えた行動で知られていた。その実力通り、外国人初の横綱になれたのも、決して偶然ではない。


しかし、あんこ型の上半身と、そっぷ型の下半身のアンバランスは如何ともしがたく、膝の故障に悩まされ続けた。小兵力士に潜り込まれると、案外と簡単にコロリと負けていたのは有名である。特に技のデパートの異名をとった舞の海には、よくやられていた。

だが、相手が大型の力士ならば、無類に強かった。あの時代の名力士といえば、やはわ若貴であり、特に貴乃花とは名勝負を繰り広げたが、私は実力は曙が一歩上だと思っていた。あのバズーカ砲のような突き押しに抗しきれる力士は、ほとんどいなかった。

ただ、膝の怪我が痛かった。あれでは下半身の踏み込みができず、上半身の力だけで相撲をとってしまい、その結果さらに膝の怪我を悪化させた。相撲に真摯であったが故に、曙は引退を決めた。

そして、その真面目さゆえに総合格闘技へと転身してしまった。いくらなんでも、膝が壊れた曙に、総合格闘技はもちろんキックボクシングのような立ち技系の格闘技は無理だった。

ボクシングの世界では「強いパンチは足で撃つ」と教わる。足の踏み込みにより生まれた力を、膝から腰へ送り上体のひねりと共に肩から腕へとつなげて、最後は拳の打撃へとつなげる。その足が使えないのだから、曙が勝てるはずもない。

だが、プロレスは違う。格闘演劇であるプロレスにおいては表現力こそが重要となる。その鍛え上げた身体で観客を沸かす身体を張った演技こそがプロレスの真骨頂だ。

新日本プロレスの若手三銃士と呼ばれ、アメリカではグレート・ムタとして大人気を博した武藤は「曙は天才だよ」と評する。頭が良く、その場に応じた演技でプロレスのリングを沸かすボノちゃんこと曙は、格闘技の世界では目が出なかったが、プロレスラーとしては成功できた。

惜しむらくは、角界引退後すぐにプロレス入りしなかったことだ。当時人気が低迷していたことが、その原因だと思うが、格闘技の世界で無理をしたことは明らかに失敗だったと思う。

コメント
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