王様の耳はロバの耳。
誰かいい加減に教えてやれよと云いたくなる。
はっきり言ってやるが、沖縄という地方自治体の長がいくら騒ごうと、日本駐留米軍基地の移設に対して変わることはない。敗戦国の、それも一地方自治体が騒ごうと、戦勝国のやることになんら影響は及ばない。
それが冷徹なる現実である。いったい、いつから沖縄はあれほど馬鹿になったのか。かつては超大国シナと大国日本の間にあって、時には強硬に、時には柔軟に外交上のバランスをとり、仲介貿易立国として東南アジアの一角にあって、それなりの国際的地位を築いた歴史を持つとは思えない間抜けぶり。
いつから沖縄は、これほど間抜けになったのか。
おそらくは、沖縄を米軍が管理していた頃が始まりだと思う。アメリカはドル紙幣と豊富な食料で沖縄を懐柔した。その後、日本へ返還されてからも、莫大なお金が沖縄に流れた。
軍事拠点であることが、沖縄へお金を流し込んだ。沖縄本島は、耕作面積もさほどなく、収益性の高い特産物もない。しかし、ユーラシア大陸と太平洋の出入り口的な地理的有益性があった。中継点として存在価値があった。だからこそ、近代以前は交易により利益を得ていた。
しかし、技術の進歩は沖縄から交易地としての地理的優位性を奪ってしまった。火力動力船の登場は、中継点としての沖縄の価値を大きく減じさせた。そのかわり、軍事的拠点としての価値が、新たに生じた。
大日本帝国も、アメリカも軍事拠点としての沖縄の有意義さを認めていた。沖縄に限らないが、軍事的拠点というものは経済的視点で測れるものではない。また軍事そのものは、資源を浪費するばかりで、決して再生産をしない。
軍事拠点の周辺で反軍事運動は好ましくない。だからこそ、アメリカも日本も沖縄に必要以上に金を投じて、地元を潤した。これはあぶく銭である。汗をかいて稼いだお金ではない。それゆえに、このあぶく銭は沖縄の人々の心を腐した。
反米、反日であることは単にお金になるだけではなく、平和を求める善人という虚像を造りだし、その虚像にすがることで、あぶく銭で腐された心を癒した。これが沖縄における反基地、反米、反日の土壌となる。
冷静に判じれば、今の沖縄は基地があるからこそ侵略の野心を隠さないシナから守られている。基地そのものは、沖縄を守るためではなく、あくまでアメリカの世界軍事戦略の一環ではあるが、結果的に沖縄は基地に守られている。
さて、童話のなかで王様は、醜いロバの耳を隠そうと努力した。周囲の人たちは、それを知りつつ黙り込み、唯一床屋だけが我慢できずに井戸に向かって叫んでしまった。その結果、国中の人たちが真実を知った。
王様は、この大きなロバの耳で国民の声を遠くまで聴いていたのだと言い張ることでプライドを守った。さて、沖縄のロバの耳を持つ人たちは、真実が知られた時になんと言い訳するのであろう。