先週のことだが、愛川欣也の訃報が報道されて驚いた。
肺がんであることを隠して、直前まで仕事を続けたその態度には敬服する。司会者、俳優、声優など多彩な顔を持つが、私としては十代の頃に夢中であった深夜のラジオ番組であるパック・イン・ミュージックのDJとしての印象が一番強い。
ただし、あまり好きなタレントではなかった。
なんとはなしだが、押し隠した高慢さが感じられることがあり、それが私の反感を買った。全共闘世代にはよく見られることなのだが、とにかく反政府=平和だと思い込んでいる。
熱い血潮をたぎらせた多感な青年時代に、反安保闘争や公害問題など傾倒した人たちでもある。だから、反政府、反自民、反権力こそが正義の世代でもある。もっとも全員という訳でもなく、会社員として、あるいは公務員として組織の一員に染まり、若き日の情熱を失う人のほうが多い。
しかし、教職員やマスコミ、そして券\関係に進んだ人には、少なからず拝見する。私からすると、失敗に終わった安保闘争であり、国民の多数派は自民支持であり、高福祉国家への希望ゆえに権力になびく日和見派が、戦後の日本の多数派であった。
だが、彼らは決してその現実を容認しようとしなかった。決して自分たちが少数派であり、多数派にはなれなかった現実を直視しようとしなかった。自分たちの考え、主張が正しいと決めつけたが故に、異なる考え、主張との妥協が出来なかった。
キンキンとの愛称で知られた愛川欣也も、その典型的な反権力志向の持ち主であり、決して現実を直視し、現実との妥協を避け、安全な場所から正義の主張を繰り返す愚者であった。
自分たちが少数派である現実を突きつけられると、多数派は愚かにも気が付いていないと傲慢に見下げて、自らのプライドを固守していた。自分たちこそが正しいが故に、それが多数派から支持されない現実に苛立つ人であった。
「ぼかァ、断固認めないよ」と、怒りを噛み殺した態度で政治的見解を口にしていたが、生活のため人気TV番組の司会者を務めている時は、決して口にしない程度の誤魔化しは出来るようだった。
戦後、多数出没した平和原理主義者であり、政府に反対することが正義だと思い込んでいた、頑なな愚者であった。だからその訃報を耳にしても、あまり積極的にお悔やみを言う気にもなれない。
でも、ガンを押し隠して晩年を精一杯過ごした、その剛毅な生き方には素直に敬意を払いたいと思います。