私は意地が悪い。
ベストセラーとか、その時点において人気がある本には、滅多に手を出さない。読みだすのは、数年後、人気も落ち着き評価が定まってからだ。
そんな、ひねくれた読み方をするようになったのは、新聞の書評に失望したからだ、これまで何度騙されてきたか。その想いが、こんな、ひねくれた読書法を生み出した。
もちろん、出版社あるいは、広告代理店といったメディア関係者は営利団体であり、利益を最大限に得るために、キャンペーンを張ることは理解できる。ただ、それが文芸評論だと、読んでみて、なんだこれ!と失望することが少なくない。
文芸なら、読めば自分なりの基準で評価できる。困るのは、エコノミストと云われる人たちの、経済分析とか時事評価である。特にマクロ経済をあまり得意としない私の場合、エコノミストの言い分が正しいのか、その適切な評価は難しい。
もっとも、いくら小難しく書かれたエコノミストの時事評価であっても、10年経てば、その価値が如何なるものかは、おおよそ分かろうというものだ。だが、おおよそであることが私の筆を鈍くさせる。
そこで、表題の書の著者による、過去のエコノミストの評価と診断が実にありがたい。読んでみて、私の大雑把な評価と一致する部分も多く、その筆の冴えには感心します。
ただ、最後の評価点ですけど、これは明らかに配慮というか、気遣いがあるのがありありと読めてしまう。あれだけいい加減な竹中でさえ60点台としているのは、どうみても仕事上での配慮でしょうね。
私なら絶対に50点以下しか付けませんよ、とりわけ竹中はね。