ヌマンタの書斎

読書ブログが基本ですが、時事問題やら食事やら雑食性の記事を書いています。

冬の湯豆腐

2016-02-19 12:07:00 | 健康・病気・薬・食事

寒暖の差が激しい今日この頃です。

寒い晩には、湯豆腐が美味しい。10時過ぎに帰宅すると、疲れていて、凝った料理を作る気にはなれない。簡単に作れる料理は、カロリーが高いものが多く、夕食には敬遠したい。

こんな時こそ、湯豆腐の出番となる。鍋に水を張り、細かく切れ目をいれた乾燥昆布を数枚ならべて30分。その間に着替えたり、片づけをしたりと雑用をこなす。

スーパーで買っておいた鱈の切り身を、さっと水で洗い、クッキングペーパーで水気を取り、塩をふっておく。30分たって、昆布の出汁がとれた鍋に、火をかける。その際、一緒にこの鱈の切り身を入れておく。

鍋が沸騰したら、適当に切った豆腐、ざく切りの葱、水菜や白菜を少し加えて、再び沸騰するのを待つ。沸騰したら火を弱めて、ニラを挟みでチョキチョキと切って、鍋に入れて数分待つ。

ようやく、熱々の湯豆腐の完成である。糖質を減らすため、敢えてご飯は食べない。その替わりに、湯豆腐の残り汁に、少し麺つゆを加え、そこにオカラと蒟蒻で作った麺を入れて、締めとする。

あまり美味しい麺ではないが、腹は満腹になるし、なによりカロリーが低い。食べ終わると、すぐに食器、鍋を洗い、その間にお湯を沸かし、ゆっくりとハーブティーを飲むのが最近の習慣だ。

ちょっとだけ甘いものを食べるのが、密かな贅沢である。

実は湯豆腐を作るようになったのは、久しぶりである。ここ数年、どうしても作る気になれなかったのだ。

ギラン・バレー症候群により全身マヒになる直前の晩、母が最期に作った料理が、湯豆腐であった。私の記憶する限り、母の作った料理のなかで、最も不味かった湯豆腐であった。

料理名人とは云わないが、母は三人の子供を食べさせてきただけに、普通の料理の技量は持っていた。実際、私は塩分が多いとか、味が濃すぎると文句を言った覚えはあるが、不味いと文句を言った記憶はない。

母の作った料理を、最も沢山食べてきたのが私であると自覚している。だからこそ、あの湯豆腐は美味しくなかった、母の作るいつもの料理ではないと断言できる。

私の記憶では、母も疲れている時などに、簡単に作れる料理として、湯豆腐を出すことが多かったはずだ。しかし、既に麻痺の症状が出ていた母には、その湯豆腐でさえ満足に作れなかったのだろう。

いや、本当は料理なんてしている場合ではなかったはずだ。なんで、あの晩のうちに大学病院に連れていかなかったのだろう。母は風邪だといい、私もそうだと思い込んでいたからだ。

実際、翌日の日中には救急車で病院に搬送されたが、その地元の病院では、他の病気だと誤診していた。珍しい病気なので、責める気はないが、もっと早くに適切な治療を施していたならばとの後悔は、今も残っている。

だから、私は湯豆腐を作る気になれなかった。3年以上、作らなかった。意地でも、作らなかった。

しかし、母の湯豆腐の味を忘れないうちに、再び湯豆腐を作っておこうと思い直したのは、今年の正月のことだ。以来、あれこれ、思い出しながら、湯豆腐を作っている。

簡単な料理なのだけど、なかなか母と同じ味にはならない。出汁をとる時間が違うのか、それとも何かほかに隠し味を入れていたのか。あれこれ、試行錯誤を繰り返しているのが、この冬の一仕事となっている。

コメント (2)
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