ダンスは一人では踊れない。相手がジルバを踊りたければジルバを、そして相手がサンバを踊りたければサンバを踊る。それが私のプロレスだよ。
したり顔でインタビュアーを煙に巻いたのが、往年のAWAチャンピオンのニック・ボックウィンクルであった。
率直に云って、あまり評判のいいプロレスラーではない。得意技は、反則負けによるチャンピオンベルトの死守である。つまり、負けそうになると、わざと反則をやらかして、レフリーから反則負けを宣告される。
AWAのルールでは、反則負けではチャンピオンベルトは移動しない。だから、ずっとチャンピオンの座に付いていた。私は、この人がチャンピオンでいる間、ピンフォール勝ちした試合も、ピンフォール負けした試合も見たことがない。
ダーティ・ヒーローであるバディ・ロジャースの正統なる後継者であった。たしかにルックスは二枚目で通るし、スーツを着込めば温和な紳士と見られる風貌であった。しかし、汚い反則技で、王座にしがみつくプロレスラー、そう思われていた。
だからこそ、観客はこのダーティ・チャンプが負けるのを期待してプロレス会場に足を運ぶ。ニックは、観客の期待とおりに相手に追いつめられ、遂に王座陥落かと思わせる。
しかし、そこで反則をやらかして、レフリーから反則負けを宣告される。こうしてベルトは死守されてきた。こんな試合ばかりやっていたので、プロレスファンも、そしてプロレスラーでさえもニックは弱いと思い込んでいた。
ところがだ、その汚い試合ぶりとは裏腹に、実は正当なレスリングの実力を持つ隠れた実力者であった。そのことが分かったのは、全日本プロレスの若き王者ジャンボ鶴田との試合であった。
鶴田は、ニックの手口を熟知していたので、PWFルール、すなわち反則負けでも、負けは負けでベルトが移動するよう要望した。断るかと思いきや、ニックはこのルールを受け入れた。
鶴田は勝つ気満々であり、ベルトは俺のものと思っていた。ところがだ、この試合で鶴田は勝てなかった。ニックは相変わらず反則を交えた汚いプロレスに終始したが、それでもピンフォール負けはしなかったのだ。
私もこの試合はTV観戦したが、実に地味な試合であった。ニックは派手な技は一切使わず、ひたすら地味な技の攻防に終始し、追いつめられると反則技を繰り出して窮地を脱する狡猾な試合ぶり。
この試合で分かったのは、ニックは地味なテクニックを十二分に有するテクニシャンとしての顔を持つことであった。この試合で、ニックは投げ技を一切使わず、ひたすら関節とグラウンドでの攻防に終始していた。これにはアマレス出身の鶴田も、かなり戸惑ったようだった。
日本人レスラーでも、ジャンボ鶴田は屈指のテクニシャンであり、アマレス仕込みの投げ技の名手である。しかし、ニックは、その鶴田に一度も、投げ技の機会を与えなかったのだ。
以来、鶴田は記憶に残った名レスラーの一人に、必ずニックの名を挙げるようになった。
ニックは、人気こそなかったが、バーン・ガニアと並んで長期間AWAのチャンピオンで居続けた。どんな相手とも、プロレスの試合を演じることが出来た。彼にとっては、試合に勝つことよりも、チャンピオンベルトを巻き続けることこそ、強さの証であったのだろう。
昨年ニックは天寿を全うしたという。晩年の彼を私は知らないが、きっと強かで、しなやかな人生であったと思います。したたかな大人のプロレスラー、それがニック・ボックウィンクルであったと思います。