ヌマンタの書斎

読書ブログが基本ですが、時事問題やら食事やら雑食性の記事を書いています。

所詮、この程度

2016-10-11 14:52:00 | 社会・政治・一般

軽薄な男だと思う。

豊洲の盛土問題が、石原都知事時代に起きたことは既に判明している。そのことが判明してからの言い訳が胡散臭かった。

「残念に思う」「都庁の役人に騙された」「解明に協力は惜しまない」

あれだけ傲慢に都政を仕切りながら、いざとなると、この様である。あげくに、公開での説明を拒否する怯懦ぶりまで披露してくれている。

私は、石原が国政の場に居た頃から、この男、いざとなったら逃げるなと思っていた。特段、根拠があった訳ではないのだが、口先だけで威勢のイイことを言う奴には、しばしばこの様な口先だけの人間がいることは、経験的に分かっていた。

小学生の頃のクラスメイトのA男がそうであった。成績優秀で、けっこう男前。クラス委員に率先して立候補し、まとめ役を買って出る目立ちたがり屋であった。

転校生の私にも率先して話しかけてくれたので、当初は私も好意感をもっていた。ただ、なんとはなしに、彼、当てには出来ない奴だと感じていた。そう思ったのは、彼が汚れ役を引き受けたがらないからだった。

いつも、誰か取り巻きの一人に、厭な役を押し付けていた。そいつを持ち上げる一方で、自分はいつも安全な場所にいた。その癖、仕切りたがるところに、胡散臭さを感じていた。

その予感が正しいと確信したのが、放課後の公園でのことであった。缶蹴りをして遊んでいる時に、見知らぬ顔の中学生が5人ほど踏み込んで来た。今から、ここで野球をやるから、お前たちは出ていけと脅してきた。

率直にいって小学生の私たちには、中学生に言われたら、従うしかない。内心腹が立ったが、一人でつっかかるほど私も馬鹿ではなかった。他のクラスメイトも、やり合う気はないようで、一塊になってすごすご公園を立ち去った。

ふと気が付くと、いつもリーダー役を買って出るA男の姿がない。私が「あれ?A男はどこだ」と口に出すと、不思議な笑いが漂った。諦め気味の冷笑、そんな感じの笑い声が小さく聞こえた。

公園を出て、しばらく歩くと突然にA男が飛び出てきた。「今、空いている公園見つけたから、続きやろうぜ」と笑顔で話しかけてきた。肝心な時に逃げ出した癖に・・・と思ったが、他の連中が諦め気味に従うので、私も黙り込んで付いていった。

後日、分かったのだが、A男は勘がイイというか、危ない場面、厭な場面に出くわすと、さっさと逃げ出す癖があるようであった。決して悪い奴ではなかったし、快活な奴でもあったが、頼りにならない奴でもあった。

だから、クラス委員でもなんでも、自分から立候補しないと相手にされない奴でもあった。他のクラスメイトから推薦されることはない、そんな奴であった。

タイプはだいぶ違うが、石原慎太郎も似たようなものだと思う。国士気取りの威勢のいい科白は口にするが、それが結果に結びつかない。いくら同志を集めても、時間がたつと離れていく。とことん信用されることがなく、その場限りの威勢の良さだけが目立つ。

私は作家としての石原慎太郎なら、それなりに高い評価をしている。しかし、政治家としてはダメだと思う。彼が国政の場では孤立し、間違って首相になんぞならなくて良かったと、今つくづく思っています。

コメント (2)
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