ヌマンタの書斎

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死刑制度廃止宣言

2016-10-12 13:27:00 | 社会・政治・一般

日本弁護士連合会、通称日弁連が死刑廃止宣言を行った。

死刑制度に反対する人は少なくない。だが、多数派ではない。どちらかといえば、死刑制度に賛意を示す人のほうが多いのが実情だ。

日本では無期懲役は、事実上有期であり、殺人を犯しても十数年後には出所してくることが珍しくない。また遺族の感情として、有罪を受けた加害者の死を願う気持ちもある。

だが、死刑制度反対する人たちは、この遺族の感情に無神経だ。むしろ加害者の人権を救わんとする自らの善意に酔い痴れている。また死刑廃止が世界の潮流だと主張するが、廃止している国の多くはキリスト教が主流であり、イスラム国をはじめとして死刑制度を維持している国も決して少数派ではない。

むしろ、死刑制度を廃止した国では、殺人事件の多さと、犯罪被害者らの反撃による死傷者の多さの問題がある。武器の所有を合法化している国ならではの問題である。それが望ましいことだとは、私には到底思えない。

第一、国として考えるべきは死刑の有無ではなく、人々が安心して暮らせる社会を維持することであろう。死刑に値するような犯罪者の人権よりも、平和裏に暮らしている普通の人の人権こそ大事にして欲しいものだ。

さりとて、神ならざる人が、人を裁く以上、必ずミスが生じる可能性は否定できない。それゆえに、冤罪の問題がある。

私とて冤罪の危険性には思うところはある。特に日本では検挙=有罪との思い込みが強く、無理やり有罪に追い込み、真の犯人を取り逃がすことが実際にある現実を思うと、自白を強要しての有罪確定には疑問がある。

実際、冤罪により死刑に追いやられた無実の人がいたであろうことを思うと、死刑制度に対する疑念はある。が、これは死刑そのものの問題ではなく、警察と検察の問題であることが本質だ。

仮に死刑を廃止したとして、その替わりになり得る刑罰はあるのか。よく言われるのは、事実上永遠に収監する懲役刑であろうが、これも必ずしも被害者遺族を納得させるものではない。

以前、ある引退した司法関係者が死刑を止められない理由として、日本では仇討が復活する可能性を否定できないからだと言っていたことがある。これは、十分考えられる。

仇討の是非はともかくも、刑罰の本質は社会の安定を維持するためにある。大切な人を奪われても、その奪った犯人を生かしておくような社会が、果たして望ましいものなのかも考えると、やはり現状では死刑制度に賛意を示さざるを得ない。

死刑制度の是非を問うならば、おそらく日本国民の過半数は死刑制度を支持すると思います。

コメント (2)
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