ヌマンタの書斎

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御用学者

2016-10-07 13:05:00 | 社会・政治・一般

世の中には、御用学者と言われる人たちがいる。

私は一概に否定はしない。学問の世界に身を置きながら、時の権勢者の役に立つことにより、日の当たる生き方もありだと考えているからだ。

私が初めて出会った御用学者は、中曽根政権のブレーンとして活躍していた気鋭の若手研究者であった。大学の一般教養の講義を担当しており、その内容が面白そうだったので受講を決めた。

大学には毎日、必ず足を運んだが、それはもっぱら部活のためだ。講義の出席率はいつも最低というか、ギリギリであった私だが、この講義にはわりと出席したほうだと思う。講義自体が面白い訳ではなかったが、レーガノミックスを全面的に肯定する講義よりも、雑談のほうが興味深かったからである。

当時、圧倒的多数で議会を制していた自民党政権にあっても、あの中曽根政権の強権ぶりは、元・左派を自覚していた私にとっても非常に新鮮であった。三塚にやらせた国鉄民営化や、日本=不沈空母論など、なにかと話題に尽きぬ政権であったと思う。

それだけに、この御用学者の話ぶりには、権勢にすり寄る厭らしさよりも、時流に乗る勢いが感じられて、それは不快なものではなかった。もっとも、その裏付けとなる経済理論には、なんとなく都合が良すぎる印象が否めなかったのも確かであった。

もっとも、私からすると、所謂マルクスよりの経済理論にウンザリしており、経済学とは後追いの学問で、現実とは常に遅れる性質を持つものだと割り切っていたので、学説の胡散臭さには慣れっこになっていた。

そう。私は十代の頃から学問の胡散臭さに気が付いていた。気が付かざるを得ない環境にいたからだ。なにせ、完全にマルクス主義肯定の立場である学生主催(実態は民青後援だが)の読書会にいれば、マル経系の経済理論と、彼らの主張する政治論が不一致なことは、高校生でも分かる稚拙さであった。

ただ、稚拙であっても、世の中を良くしよう、変えていこうと意気込む若者たちの姿は逞しく、また輝いてみえたのも確かだ。彼らを指導する人たち(民青の先輩や、共産党員)の唱える、一見もっともらしい学説の矛盾に気が付くまでは、私とて彼らを讃美していたのだから。

だが、その後、彼らの政治的主張の矛盾に気が付き、それを指摘してしまったことで、私はあの場にいずらくなった。辛かったが、彼らから離れ、距離を置くことで私自身が、既に幻想に染まりつつあったことに気が付いた。

まだ十代後半であった幼稚な私には、そのことで混乱と不信と招き、自らを納得させるだけの思考を構築できなかった。それが出来たのは、10年近くたってからであった。30代を過ぎて、ようやく政治にすり寄る学者を理解できるようになった。

もし、彼らが政権をとっていれば、彼らの稚拙な学説は正当なものとして扱われ、左派よりの学者が御用学者として政権にまとわりついていたであろう。実際、民主党が政権をとったあの3年間に、消えていたはずの左派系の学者、マル経系の学者などが、いつのまにやら政府の委員会とやらに名を連ねていたのだから、左右を問わず御用学者は美味しい立場なのだろうと思う。

実際問題、学者とて人の子であり、白亜の聖域である大学にこもっているよりも、世に出て自分が正しいと思うことを政治の力で実現したいと思うこと自体、なんらおかしくない。

それでも多くの学者がそれをやらないのは、政治に近づけば富と権勢、名誉が付いてまわるからだ。それが学問に必ずしもプラスにならないと本能的に気が付いているからこそ、多くの学者は政治とは距離を置く。

しかし、学者が現世の利益を求めて何が悪い。生涯を奉げた学問を使って立身出世を求めて何が悪い。私は、それを悪いとは言わない。むしろ人間の本能、欲望に忠実であり、「知識は人の役にたってこそ」と考えれば、学者が政治に近づくことは決して間違っている訳ではない。

しかしながら、問題になるのは学者が、その知識が、政治のために乱用され、悪用されることであろう。これは非常に多い。

最近だと、豊洲の市場移転に伴う盛土問題を、これは重要な問題ではないと世間を説得しようと出てきた学者、専門家であろう。第三者的立場を装って、賢しげに科学的意見を述べているつもりであろうが、誰のための意見なのかがバレバレなのが失笑を誘う。

そして、科学的見地といいながら、平然と部分的に正しい論理で世間を納得させようとする行為が、問題の本質を覆い隠す行為であることには目をつぶっている。

盛土をすれば、耐震機能は落ちる。まったくその通り。でも、普通、埋め立て地は耐震補強をするのが常識。盛土はあくまで有害な地下物質のためであることを隠そうとする意図が明白である。

汚染された地下水を飲むわけではない。まさにその通り。でも、飲み水の安全性の問題ではない。そのことを誤魔化すな。

この程度のことは、誰にだって分かると思うが、権威ある学者や専門家の意見で、問題の本質を誤魔化せると考えているのか。誰のための市場で、なぜに無断で計画が変更され、それを誰が指示したのか。

私は御用学者そのものを否定したりはしないが、その発言は政治的に歪んでいることが多いことは銘記すべきだと考えています。それにしても、御用学者の言動を素直に報じる新聞、TVの多いことには呆れます。裏を取るとか、反証を確認する程度の取材は出来ないのかねぇ。

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