ヌマンタの書斎

読書ブログが基本ですが、時事問題やら食事やら雑食性の記事を書いています。

君の名は

2016-10-21 12:00:00 | 映画

名前を思い出せない。

その女の子のことを知ったのは、間違いなく高1の時だ。クラスが違ったし、部活や生徒委員会で知り合った訳ではない。いや、知り合ってなんていない。ただ、廊下ですれ違うだけ。図書館で見かけるだけ、ただ、それだけだった。

でも、知っていた。彼女が美人であったからではないと思う。いや、間違いなく美人なのだが、綺麗な子、かわいい子は他にもいたし、一緒に居て楽しい子、会話が弾む子もいた。私としては、そのほうが重要だ。

それなのに、私は彼女が近くにいると、無意識にその姿を求めていた。でも話しかけたことはない。多分、ない・・・少し自信がないのは、もしかしたら、文化祭の時に、少し話したかもしれないからだ。

きっかけは、おそらく私が当時、仲が良かったY子に部活の展示に呼ばれたからだ。たしか、彼女はY子と同じクラブであったはずだ。それ以外に接点は考えられない。そして、私は敢えて彼女を素通りするかのような態度をとったと思う。

理由は、Y子のためだと思う。別に付き合っていた訳ではないが、Y子との関係は大事にしたかった。当時、いささか女性不信の気があった私を癒してくれた貴重な女の子であったからだ。だから、私はY子以外の女の子に目移りするような軽薄な態度を避けた。

それは、不思議なことにY子が親の海外勤務に伴う出国で、学校から姿を消してからも変らなかった。そして、Y子がいなくなってからは、接点はまったくなかったはずだ。

それなのに、私は視野に彼女が入ると、すぐに気が付いた。おそらく彼女も気が付いていたはずだ。とても綺麗な子なのだが、ちょっと謎めいた噂があったことは小耳に挟んでいた。

彼女に告白した男は数知れずなのだが、交際の噂は一切なかった。彼女はいつも同じ女の子と一緒にいた。仲が良すぎるほどの二人で、そのせいか、レズビアンではないかとの噂が出たほどだ。

いずれにせよ、私には関係ないものと思っていたが、それでも高校卒業するまで、私はつねに彼女を意識の片隅に置いていた。名前も当時は知っていたかもしれないが、もう名簿もないし、卒業アルバムもどこかに仕舞いこんでしまった。

だから、名前を思い出せない。

学内でも指折りの美少女であった彼女が、地味な私に気がある訳がないし、第一接点がない。ただ、彼女の視線を感じることは、時折あったように思う。思春期特有の自意識過剰からくる思い上がりであろうと考え、当時は自らを「いい気になるな」と諌めていたぐらいだ。

何故なら、私は中学時代に美人に痛い目にあっていたので、美人を警戒するようになっていたからだ。だから卒業するまで、一言も話したことがない。

それなのに、私は知っている。彼女がどんな風に笑うのか、どんな風にほほ笑むのか。どんな風に怒り、声を上げるのか、何故か私は知っている。知っているはずがないのに、知っているのは、きっと私の妄想なのだろう。

本当にそうなのか? もしかしたら、私の記憶から消えた何かがあったのだろうか。

別に後悔している訳ではないが、もし人生が二度あるならば、次は声くらいかけておきたい、名前くらいは聞いておきたい。そう思っている。

ところで表題の映画は、たいして宣伝もしていないのに、口コミで人気が出たらしい。東映では、「シン・ゴジラ」と並んで今年の大ヒット作であり、業績を大いに向上させたようだ。別に泣くほどの感動作ではないと思うが、私は高校時代の名も知らぬ女性のことを思い出してしまった。

私の記憶に、さざ波を起こしてしまった映画であった。その波に洗い流されて浮き上がってきた記憶は、そう悪いものではなかった。たまには、こんな映画も良いものです。

コメント
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