少し複雑な気持ちになる。
私は障がい者がスポーツをやることは、大いに賛成である。身体的ハンデがあろうと、身体を動かすことは良いことだ。肉体的鍛錬というだけでなく、精神面でも良い影響があると確信している。
また競技として腕を競い、勝利を目指した努力の対価としてのメダル等の順位付けも、モチベーションの点から考えても、良いことだと考えている。
それでも、リオ・パラリンピックが終わった後の、一部のマスコミ報道には首を傾げざるを得なかった。金メダルが0であったことが、そんなに悪いのか?
たしかにロンドン大会に比べると、金メダルは激減した。でも、障害者スポーツに関する知識は、以前よりも格段に広がったように思う。本来なら、「理解が深まった」と書きたいのだが、まだその段階ではない。
私はパラリンピックを、障害者の社会参加を高めるために効用があると考えている。私自身が20代の頃に、障害者とほぼ同じ暮らしをしていたから、障害があろうと、それを克服して社会参加が出来ると信じているからでもある。
社会的にも、障害者の社会参加を促す動きがあるのは確かだ。しかし、通勤電車のホーム、バス乗り場、エレベーターなど障がい者には使い辛い現状を改善する動きは微々たるものだ。
やもすれば、「なんで、こんなところに障害者が・・・」と暗黙の排除の気持ちが感じ取れることさえある。そんな日本社会の現状を考えれば、金メダル云々以前にやるべきことが、山積しているのが実情ではないか。
子供の数が減少し、高齢化社会を迎えつつある今の日本では、障害者といえども社会に参加してもらわねばならない。彼らが働ける環境さえ整備されれば、障害者も立派な労働力たり得る。
パラリンピックの金メダルの数を問うよりも、もっと他にすることがあると思います。私に言わせれば、マスコミ業界こそが、障害者雇用に率先してこそ、言えることだと思いますね。