2016年の10月に、神戸市立中学校の女生徒が自殺した。
当初から、いじめを苦にした自殺ではないかと疑われたが、神戸市の教育委員会の幹部より、中学校の校長に、いじめを報じた資料を破棄し、事件を隠ぺいするように指示されていたことが先週末に報じられた。
参考までに記しておくと、教育委員会は各地方自治体に設けられており、その目的は法令に記載されている。そこで教育委員会の設置に関する法令を読んでみた。その冒頭に記されたものが下記の一文である。
>第1条の2 地方公共団体における教育行政は、教育基本法(平成18年法律第120号)の趣獅ノのつとり、教育の機会均等、教育水準の維持向上及び地域の実情に応じた教育の振興が図られるよう、国との適切な役割分担及び相互の協力の下、公正かつ適正に行われなければならない。(設置)第2条 都道府県、市(特別区を含む。以下同じ。)町村及び第23条に規定する事務の全部又は一部を処理する地方公共団体の組合に教育委員会を置く。
今回、いじめの資料の隠ぺいを支持したとされる神戸市教育委員会の幹部は、この条文を読んだことがあるのだろうか。
新聞報道などでは、いじめの資料が表に出ると、事務作業が煩雑になるからという理由で隠ぺいを支持したとされるが、それを本気で受け止めた記者が居るとしたら大馬鹿である。
私の独断と偏見に基づく教育委員会の仕事は、不祥事から教員を守ることだ。
日本憲法22条では、職業選択の自由を高らかに謳っているが、日本の学校教員については憲法とはいささか乖離した実態がある。はっきり吐き捨てさせてもらうと、日本の学校教員になるのに必要なのは教職員免許でもなければ、教育者としての優れた資質でもない。
なによりも大切なものは、コネである。コネすなわち人間関係である。役所だけでなく、民間企業でもコネによる就職有利はある。私はコネによる就職も一概には否定しない。
履歴書では分からない、その人の人柄や実績などを実際に見聞きしてきた親族などからの推薦があれば、それを信用したくなるのは決して不自然なことではない。もちろんデメリットもある。
コネにより薦められた人材を実際に知りもせず、ただ薦めてきた人との関係を重視して採用してしまった場合、碌でもない人材であったこともよくある話。しかし、薦める側も、あまりにヒドイ人材を薦めることは、決して望ましいことではない。
別に統計をとった訳でもないが、コネで採用しても、その人材がまったくダメであったケースは少なく、むしろ組織にとって有益な人材であることも多い。まったく見知らぬ人を採用するよりも、コネによる採用のほうがリスクが少ないと考える人事担当者はけっこういる。
しかし、コネ採用した人材が、組織にとって有害な存在であった時は、薦めた側、受け入れた側は責任をもって排除すべきである。しかし、実際にはそうでないケースが多い。
何故かというと、組織にとっての有害性よりも、コネにより構成される人間関係、組織の安定性を優先してしまうケースのほうが、遥かに多いからだ。今回の神戸市も、その典型である。
いじめにより死んだ被害者よりも、その管理責任があったはずの教員たちを守ることを優先してしまう。いじめという犯罪を隠ぺいすることにより、学校組織を維持することを優先する。
外部から見ると非道な行為、判断なのだが、学校組織を管理する側からすれば、まず守るべきは学校であって、生徒ではない。適切な管理が出来なかった教職員を守ることで、そのコネ採用に関わった人たちをも守ることが出来る。
つまり、現在の教育行政は、生徒のためではない。教育行政そのものを守るための行政である。その先頭に立って、教員たちの不祥事を隠ぺいし、教育組織を守るのが教育委員会の役割である。
学校に子供を委ねる父母の方々は、よくよくその事実を噛み締めて頂きたい。おそらく、今回の神戸市教育委員会も、組織にダメージを追わない程度の処分で幕引きを図り、従来のやり方を温存するはずです。
教育委員会とは、生徒たる子供たちを守るための存在ではありません。これが独断と偏見溢れる私の結論です。