ヌマンタの書斎

読書ブログが基本ですが、時事問題やら食事やら雑食性の記事を書いています。

グアテマラ・コーヒー

2018-06-15 13:49:00 | 健康・病気・薬・食事

私が珈琲の魅力にはまったのは、高校一年の丁度今頃の時分であった。

WV部のトレーニングが終わり、疲れた身体でぼーとしていたら、先輩から喫茶店に誘われた。学校から駅への道から少し外れたところに、その喫茶店はあった。半地下になっていたので、最初は店だと気が付かなかった。

後で知ったのだが、この半地下で、人目につきにくいことこそが、高校生たちが足繁く通う最大の理由であった。校則では、学校への登下校中の飲食は禁止であったらしい。

余談だが私は校則の存在自体、知らないというかまったく興味がなかった。だから校則違反なんて、どうでも良かったが、クラブの先輩たちは一応気にしていたらしい。

階段を下りて店に入ると、入り口周辺は薄暗く、奥は間接照明で客の顔が見えない。もっとも奥の席に座って、入り口を観れば、くっきりと見える。つまり、万が一、生活指導の先生たちが店に入ってきても、先に気が付けばすぐにタバコなどを始末する余裕がある。

この喫茶店は、それゆえにタバコ愛飲者の高校生に好まれていた。だから、いつもタバコを吹かしている高校生たちが店で寛いでいた。

ちなみに、その当時はまだタバコを吸ってはいなかった。私がタバコを吸うようになったのは一年後、高校2年の時からで、当然のようにこの喫茶店の常連となった。

その日、先輩から奢ってもらったのが、その日の日替わり珈琲であるグアテマラであった。

美味かった。

一瞬で虜になった。香りの高さ、コクの深み、酸味よりも甘さが少しだけ勝るバランスの良さ。甘露とはこのことかと驚愕したものだ。以来、私は珈琲を毎日欠かさずに飲むようになった。

ところがだ、この最初の珈琲との出会いは、かなり僥倖であったようなのだ。その日の珈琲を淹れてくれた方は、店のマスターであった。マスターは他にも店舗を持っていたせいで、この喫茶店に昼間いることは稀で、通常は深夜しかいなかったらしい。

だから、同じ味を求めてこの店に来ても、どこか味が違う。珈琲初心者であった私は、珈琲を淹れる人によって味が変わるなんて思いもよらなかった。実際、昼間に店を任されている若手のスタッフは、料理こそ美味かったが、珈琲に関してはイマイチであった。

それから数年間、私は美味しい珈琲を求めて、都内各地の喫茶店を巡ることが趣味になってしまった。おかげで、こと珈琲に関しては舌が肥えた。当時、私のお眼鏡にかなった喫茶店は、わずかに2店舗だけ。

都内の喫茶店を100店舗以上回った結果だけに、その二店はたしかに美味しかった。美味しい珈琲を出す店は、まず繁盛店である。繁盛しているからこそ、豆を頻繁に仕入れているから、珈琲豆はいつも新鮮だ。

もう一つ、私が気が付いたのは、時間である。美味しい珈琲を淹れるには、どうしても時間がかかる。お湯を沸かせ、沸騰した湯を少々ずつ丁寧に注ぐ。意外だが、この基本が出来ていない店は多い。いや、忙しくて出来ないのは分かるが、急げば味が落ちる。

だから、美味しい珈琲を淹れるを出す店は、専任のスタッフがやっていることが多い。いや、スタッフではなく、店のオーナー自ら珈琲を淹れるくらいでないと、なかなか満足のいく珈琲には出会えなかった。

残念ながら、その二店は今は閉店している。いや、一店舗は残っているのだが、代替わりして息子さんがカウンターに入るようになってからは珈琲の味が落ちてしまった。サンドイッチが絶品なので、今も偶に行くが、昔とは異なる珈琲ゆえに、私にとっては既に閉店した喫茶店の後に出来た店としか言いようがない。

先日、ニュースを見ていたら、グアテマラの火山が噴火して死者数百名とあった。そうなのだ、あの国は火山国であり、火山により焼失した焼け跡に植えられた珈琲の木で、世界に冠たるグラテマラ珈琲を生み出した。

多分、火山灰などの影響で、しばらくは珈琲豆も高騰して、イイ豆は手に入りにくくなるだろう。今のうちに、少し買っておきましょうかね。でも買い過ぎても、結局味が落ちる。

我儘云わずに、また時を待ち、美味しいグアテマラ珈琲を待ちましょう。被災されたグラテマラの国民の為に支援することにもつながるはずですから。

コメント (4)
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