プロレス界の暴走王と呼ばれた小川直也が引退を表明した。
柔道選手である息子(小川雄勢)の指導をしたいことが理由らしいが、プロレスラーの引退はあまり当てにならないので、私は話半分に受け取っている。
ところで、小川直也といえばバルセロナ五輪での柔道の銀メダリストである。その恵まれた長身と、バランスの良い体格で柔道界では屈指の強豪であった。ガンガンと攻めに行く姿勢が特徴であったが、反面受けが弱いというか、肝心な時に一本負けすることも少なくない。
柔道からプロレスへ転身した人は、坂口をはじめとして幾人もいるが、その中ではまァまァの成功者である。まァまァと評したのは、実はプロレスはあまり上手くなかったからだ。
強い、弱いの観点から云えば、間違いなく強かったと思う。ただ、根が正直というか不器用な人だと思う。受けの演技が下手であったと思う。後年ハッスル、ハッスルと演じていた頃は、その点、大分改善されていたが、プロレスにデビューした頃は、本当に不器用であった。
新日本プロレスに置いて、破壊王こと橋本真也との連戦が有名だが、正直名勝負とは言い難かった。受けの強い橋本をもってしても、小川の技は切れていて、受けきれないために、試合が断続的になり過ぎて、盛り上げに欠けた。
あの連戦にシナリオがあったかどうか、私は知らないが、小川という未完の大スターを育てるためのシナリオがあった可能性は高い。その噛ませ犬として、橋本が登用されたのではないかと思っている。
橋本自身が柔道出身ではあったが、柔道家としては格が違い過ぎる。まだ柔道から身を引いて間もない小川の技を受けきれなかったように思えた。見方を変えると、小川が橋本の力量を見切って、技を抑えるだけの経験がなかったとも云える。
あるいは、小川自身が柔道の強さを表現することに、まだ馴れていなかったようにも思えた。だから、試合中、小川が苛立つ場面が多く、それは観客にも伝わってしまい、妙な混乱を産んでしまったのではないかと思う。
何時の頃からか、小川には「暴走王」の異名が付いた。試合中、あるいは試合後の乱闘が凄まじく、その過程で大怪我をしたセコンドも出る始末である。普通ならばあり得ないことからして、シナリオというか通常の試合構成から逸脱したハプニング的な事故だと思う。
原因は、小川の真面目さ、格闘技に対する真摯さにあったように思えてならない。小川はその後、異種格闘技というか総合格闘技にも挑戦していることからして、かなり本気で強さを追求していたのだと思う。
単にプロとして稼ぐだけならば、プロレスを演じているほうが大金が稼げるはずだ。実際、小川は高額納税者ランクに掲載された最後のプロレスラーと云われていた。まァ、最後になったのは、高額納税者公表制度がなくなったからなのだが、彼が所謂「ハッスル」で稼いだのは事実だ。
だから柔道出身のプロレスラーとしては、成功した部類に入る。そう評したいところだが、私の評価はいささか辛い。プロレスは一人では出来ない。相手がいて初めて試合が成立する。
プロレスにおける試合とは、格闘演劇である。いかに相手の良さ、強さを引出、かつ自分の強さ、良さを見せつけるか。それが相互に上手くミックスした時に、プロレスの名勝負は生まれる。
この点、小川は名勝負とはいささか縁遠かった。柔道でも攻めに強く、受けに難があったが、それはプロレスでも同様であったように思う。だから相手の良さを引き出すような試合の仕方が苦手であったように思う。
ただし、後年ハッスルなどで学んで観客を喜ばすプロレスを意識してやるようになってからは、だいぶ改善されたと思う。でも、それは肉体的な全盛期を過ぎてのこと。その点がとても残念なプロレスラーでしたよ。
でも、やっぱり根っこは柔道家。自分が金を取れなかったことは、心の奥底で深く刻んでいたのでしょうか。息子が金メダルに手が届くかもしれないと思った時、稼げるプロレスを止めてまでして、息子を応援したくなったのでしょう。これは非難できませんね。