ヌマンタの書斎

読書ブログが基本ですが、時事問題やら食事やら雑食性の記事を書いています。

倒れたブロック塀に思うこと

2018-06-26 12:00:00 | 社会・政治・一般

なんで黙っているのだろう。

先週、大阪を襲った地震のせいで、小学校のブロック塀が悼オ、女の子が死傷した。

よくよく見ると、3メートルを超すブロック塀であるのに、支えがない欠陥建築であった。その後の報道では、元々あった塀の上に足す形でブロックを載せていったようで、中に入れる鉄棒も短く、明らかな手抜き工事であった。

なんだって、こんなお粗末な壁を使ったのだろう。上空からの映像を見ると、プールの脇に建てられた壁であった。

なんだ、要するに覗き防止のために3メートル近い高さの塀を作ったのか。

私が子供の頃は、プール傍の塀は金網であり、よく親たちが子供たちがプールで遊ぶ姿を見に来ていた。だが、いつの頃からだろうか。子供たちの家族ではない人たちが、カメラを持って撮影に来るようになった。

挙句に、その写真を雑誌などに投稿して、小遣い稼ぎをするようになった。要するに小児愛好家向け、ぶっちゃけロリコンどもの欲望の対象として、小学校のプール光景が利用されたわけだ。

自分の娘が盗撮対象とされるなんて耐えられないと学校に苦情が殺到したのも理解できる。だから学校側としては、突貫工事で塀の高さを上げて、外から見えないようにしたのだろう。

だから、壁の安定性なんて二の次だったのだろうと、容易に想像できてしまう。その結果が、今回の倒壊ブロックではないのか。

盗撮を防げれば良し。そう考えた学校関係者がブロック塀の安全性を疎かにしたとが、今回の悲劇を生んだのだと思う。盗撮を無視して良いとは云わないけど、まず第一に考えるべきは安全性ではないのでしょうかねぇ。

あげく、壁の安全性の確認にいったのが、高槻市の教育委員会のお方々が、視察のついでに調べたとか。建築の素人が何を調べたのか知りませんけど、それで安全確認を済ませたとする神経が分からない。

私からすると、学校は聖域とされて文部省や教育委員会、日教組などが外からの影響を排した密室化していることが最大の問題に思えて仕方ありません。いい加減、未来の日本を託すべき子供たちを、教育の聖域とされる密室から解き放つべきだと思います。

コメント
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