ロシア・ワールドカップのホスト国、ロシアは初戦でサウジアラビアに圧勝した。
日本があれほど苦戦したサウジは、堅い守備を誇るアジアの古豪だが、ホームの声援を武器にしたロシアの勢いに押し潰されてしまった。
私がこの試合の後、思い出したのは1978年のアルゼンチン大会である。
アルゼンチンは1976年以来、軍事政権の支配下にあり、それを理由に当時世界最高のフットボウラーであったオランダのヨハン・クライフは参加しないことを表明したほどである。
当時のアルゼンチンでは、通称「汚い戦争」Guerra Suciaが行われていた。元々は南米各地で猛威を奮う左派ゲリラ活動に対する戦いであった。しかし、学者、ジャーナリスト、学生など軍事政権に批判的な人々が、次々の失踪し後に軍の施設で拷問死していたことが判明する。
このアルゼンチン軍事政権下での圧政は根が深く、軍部のみならずキリスト教団体も間接的ながら、その圧政に手を貸していた。南米における階級社会の矛盾と、それを口実に戦う左派ゲリラ、既得権を死守せんとする富裕者たちが複雑な絡みをみせ、外部からはその真相はなかなか明らかにならなかった。
だが、大切な家族を奪われた母親たちのデモは、世界の耳目を集めた。軍部による支配は、徐々に綻びをみせつつあった。そのような最中で行われたのが、ワールドカップ・アルゼンチン大会であった。
この時アルゼンチンは未だワールドカップにおいて優勝したことのない強豪国の一つに過ぎなかった。海外でプレーしていたのは、エースFWのマリオ・ケンペス唯一人。
大会前は、ホスト国として健闘はするだろうが、優勝はどうか。そう思われる程度であった。実際、予選リーグでのアルゼンチンは苦闘の連続であった。決勝トーナメントへの進出は、ペルー戦で4点差以上の勝利が求められていた。
その試合で6点取ったアルゼンチンは無事、決勝トーナメントに進出した。しかし、この試合は今も疑念が残るものとして知られている。アルゼンチン生まれで、ペルー育ちのGKへの疑惑。試合前にペルーチームを訪問したアルゼンチン軍の幹部への疑惑などは、今でも灰色の謎として話のネタになっている。
にもかかわらず、アルゼンチンは勝ち進み、遂に優勝決定戦を迎え、延長の末にオランダを3ー1で破っての初優勝。首都ブエノスアイレスは歓喜の群衆で埋め尽くされた。そして、この快挙は、軍事政権の延命にも少なからず影響を与えた。
余談だが、オランダのクライフがこの大会に参加しなかった真の理由は、我が子に対する誘拐を恐怖したからだと後に判明する。もし、トータル・フットボールの申し子と云われた天才クライフが、この大会に参加していたら、アルゼンチンは優勝できただろうか。
当時、随分と話題になったものだ。しかし、結果は結果。初優勝の喜びに軍事政権批判は押し隠された。そしてフォークランド紛争での敗戦まで軍事政権は生き延びることになった。その延命にサッカーというスポーツが果たした役割がないとは誰も言えまい。
実際、この大会の得点王であり、ヒーローでもあったケンペスは、後年自分たちの活躍が軍事政権の圧政を後押ししてしまったことを悔やんでいることを告白している。スポーツと政治は無縁ではいられないのだ。
さて、現在のロシアは、プーチン大統領の事実上の独裁国家の態をなしている。そのせいか、せっかくのワールドカップにもかかわらず、事前の盛り上がりに欠けたことは否めない。実際、大会ボイコットの話は何度か出ていたくらいだ。
しかし、大会が始まってしまえば、ロシアの独裁政治批判などは押し隠されてしまう。サウジに5―Oで圧勝したロシア国内は、もうイケイケのムードである。序盤の名勝負といってよいスペイン対ポルトガル戦でのロナウドのハットトリックには圧倒されるしかない。
実際私自身、メッシ擁するアルゼンチンと初出場のアイスランドの試合は、眠いのを我慢して観てしまった。まさか、まさかの結果に驚愕した。他にもドイツの初戦負けや、ブラジルの引き分けなど、強国の足踏み状態が続く有り様に、今大会における大波乱の予感を得ている。
かくして、独裁者プーチン批判は影をひそめ、大国ロシアの復活の烽火となりかねない様相を呈している。サッカー恐るべしであろう。まァ、必死で戦う選手たちには罪はないのですけどね。
はてさて、今夜の日本対コロンビア、どうなることやら・・・まァ、期待せずに選手の頑張りを応援しましょうかね。