ヌマンタの書斎

読書ブログが基本ですが、時事問題やら食事やら雑食性の記事を書いています。

少子化の影響 その一

2018-06-27 11:59:00 | 社会・政治・一般

私が働く銀座の街には、一ブロック毎にコンビニが軒を並べている。

だが、そのコンビニで働く店員の大半が外国人であり、日本人スタッフの姿は稀である。居ることは居るのだが、スタッフの主力が外国人であることは確かである。

無理もないと思う。今日日、アルバイトを募集しても、電話一本かかってこないことも珍しくない。求人誌に掲載しても、また今どきの流行でもあるスマホに求人広告を出しても、業種によっては募集なしはよく聞く話になってしまっている。

これはコンビニに限らないが、飲食店やサービス業など立ち仕事となる業種は、若い日本人に人気がない。たしかに立ち仕事はつらい。私も高校生の頃に、牛丼屋でバイトしていたので、立ち仕事のキツさは良く分かる。

だが、キツい仕事であったからこそ、要領よく働くことを模索し、状況を把握して素早く対応することや、効率よく働くことで疲労を軽減させることを体で覚えた。

だから、就職活動に悩んでいた大学生の頃は、希望の会社に就けなくても、生きて稼いでいくことは出来ると妙な確信をもっていたものだ。若い頃に厳しい労働を経験したからこそ得られた自負だと思っている。

ところが最近は、若い人に過酷な労働を課すことを悪いことだとする風潮がある。ブラック企業とかワーキングプアといった言葉に代表されるように、私が若い頃には当たり前であったことが、現在は否定的になっている。

言っておくが、過労死を招くような過酷な労働は、企業にとってもマイナスであり、労務管理の不備以前の問題だと思う。でも、若い世代にキツイ労働を課すことは、必ずしも悪いことではないはずだ。ただし、しっかりと上司が管理、監督する必要はある。

また若い世代の給料が安いことは当たり前すぎることであり、若い時から高収入ってむしろ不自然だ。手取り15万円だって、金の使い方さえしっかりとしていれば貯金だって出来る。

ところが、スマホ代に月2万とか、外食中心の食生活とかアホ過ぎる。碌に稼ぎのない人間が、自分の身の丈にあった暮しをしていないだけではないかと思う。スマホは必需品とか信じている人がいるようだが、スマホがなくても暮らしていける。自分の稼ぎが少ないことを、十分自覚していないからこその驕りだと思う。

どうしてもスマホが必要だというなら、格安スマホにすればいいだけ。周囲に迎合した生き方しかできないから、スマホが絶対必要だと思い込んでいるだけ。スマホがなくても生きていけます。

更に若い人がよく口にする科白「自分に合った仕事ではない」。馬鹿も休み休み言って欲しい。まだ20年足らずしか生きていない癖に、自分に合った仕事を口にするのは10年早い。

まず仕事を一人前にこなしてみろ。仕事に自分を合わせる労苦を惜しんでいるだけだ。生活の糧(お金)を得るための必死さがまるでない。恵まれ過ぎた若者の傲慢さとしか思えない。

だからこそ、若い日本人の離職率は異常に高い。本来なら過酷な仕事の中でスキルを磨き、技能を向上させていく期間を、ダラダラと失業状態で無為の日々を過ごしている。その結果が、使えない中高年になって惨めな人生を過ごすこととなる。自業自得であろう。

ところが、バカげたことに、そんな甘ったれの若者を容認する愚かな大人が少なくない。子供や孫に見捨てられるのが怖いのか、子供を躾けられない親や祖父母が働かない若者たちの温床となっている。

未来の日本を託すべき若者たちを、親たちが潰しているのが今の日本である。馬鹿親が、バカな子供を育てているのが実情であろう。

それに比べれば途上国から来る外人たちは、はるかに熱心に働く。口先だけ一人前な日本の若者よりも遥かに上質な労働力である。企業が碌でもない日本の若者に見切りをつけ、海外からの働き手に期待するのは必然の結果に過ぎない。

海外からの労働力導入を批判する人は少なくない。均質な社会である日本を大きく歪めてしまう可能性が大きいことは確かだと私も思う。しかし、事態はまったなしのひっ迫した状態であることに気が付いて欲しい。

既に一部の業界では、外国人労働力抜きでは、今までと同じようには業務が出来なくなっている。長くなるので、また後日書きます。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする