キレてもいよね。
>ママ、もうパパとママにいわれなくてもしっかりと じぶんからきょうよりか もっともっとあしたはできるようにするから もうおねがいゆるしてゆるしてください おねがいします ほんとうにもうおなじことしません ゆるして
早朝、ニュースのなかで朗読されるこの手紙を耳にした時、思わず顔面が紅潮していることに気が付いた。朝っぱらから、これほど腹立たしいニュースを目にしたことは滅多にない。
少し時間を置くと、マスコミに煽動された気もしたが、それでもネット上で軽く調べただけでも、相当に惨い児童虐待だと分からされた。でも、その時点で勢いで記事を書くのは危うい気がしたので、少し時間をおいてみた。
数日たったわけだが、冷静にはなれまものの、未だに怒りが収まらない。
児童保護施設の職員を非難するのは容易いが、絶対的に数が足りない。欧米並みに人員を揃えようと思ったら、現行の10倍の人数が必要となる。これはあまりに非現実的だ。
もっといえば、かつての児童相談所は、親が扱えないような問題児の受け入れ施設として機能していた。そのため、施設に保護された児童のなかには、あそこだけは二度と行きたくないと吐き捨てるような場所であった時期もある。虐待児童の受け入れ先としては、比較的歴史が浅いともいえる。
さらに厄介なのは、そこで働く職員は、児童保護員の専門職ではなく、単なる一般行政職の人が3年程度の期間で働いていることが多い。虐待児童の受け入れに対する予備知識、対応ノウハウが未熟なことも普通である。
少しずつ改善されてはいるようだが、専門職の人員は絶対的に不足しており、数年で移動する一般職員は業務に消極的であるほうが普通である。これも行政のみならず、議会もマスコミも現場を知らずにいることが大きい。
また警察との連携を、法制度上での仕組みとしない限り、現行では警察でさえ動きづらい。警察に限らないが、公的な仕組みが確立しないと、責任の所在などの観点から、役所は連携を嫌がる。
児童虐待は、警察でも個人として憤る人は多い。しかし、従来の民事不介入の原則が骨身に沁み込んでいるので、幼児虐待であったしても、現場の警察官は動きづらいのが実情だ。家庭内の問題に、外部の人間が関わりたがらないのは、警察に限らない。
だからこそ、児童虐待の問題をもっとも間近に見てきた児童相談所の職員と、警察の連携が必要となる。ところが児童虐待が社会問題と認識されるようになってから、この10年余りに発生した死亡した児童の数は26人に及ぶ。
にもかかわらず、未だに児童保護施設、相談所、そして警察との間における公式な連携の仕組みは制度化されていない。地方によっては連携を深めているところもあるようだが、都道府県の枠を超えてしまうと、児童虐待の情報は寸断されてしまう。
今回の事件も、香川県では児童相談所、香川県警ともに認識していたようだが、引越し先の目黒区における児童相談所、警視庁との連携はできていなかった。都内担当の相談所の所長に至っては、まるで責任を感じていない発言が報じられて物議を醸しているほどである。
10年経っても、未だにこの有り様である。これは現行の自公政権だけでなく、その前の民主党政権でも同様であった。政府の動きが非常に鈍いがゆえに、各省庁間の調整が必要な、このような問題は常に先延ばしの対象とされてしまう。
安倍内閣は、この手の問題に疎いし、野党は相変わらず森友、加計で頭が一杯である。既に事件発生後一週間以上たつと、マスコミもトランプ、正恩会談や、ロシア・ワールド杯の報道に気を取られて、既に紙面の片隅で続報をのっけるだけである。
もう一度、冒頭の亡くなった女児の書いた、ひらがな書きの手紙を読んでみろ。その平易な文章から読み取れる哀しい悲鳴が分からないのか。
腹が立って、腹が立ってどうしようもない。この行き所のない怒りをどうしたら良いのか、私は分からずに、ただただ苛立つばかりです。