負けても輝く選手がいるのは確かだ。しかし、負けたことが良い印象に繋がらない選手がいるのも事実だ。
何度も書いているが、プロレスは格闘演劇だ。シナリオはあってないような即興劇であり、予定調和があるクラシックの演奏ではなく、アドリブが輝くジャズの演奏に近い。
鍛え上げた肉体から繰り出す迫力満点の技の攻防は、観客を驚嘆させ、闘志むき出しの戦いに観客は沸き立つ。だから、プロレスの面白さは勝敗ではない。
しかし、試合である以上、勝ち負けは必要だ。優秀なプロレスラーは、試合に負けても輝く。いくら勝者の祝杯を掲げようと、輝けない勝者さえいるのがプロレスの世界だ。
そして残酷なことに、試合に負けても輝けないプロレスラーもいる。そんな残念なレスラーの一人が安生洋二である。
安生といえば、アメリカのグレイシー柔術の道場に、道場破りに行って、無様にボコボコにされた写真の印象が強すぎる。私は当初、これは新興のプロレス団体であるUWFインターが仕掛けたギミックなのかと思ったぐらい見事な負けぶりであった。
真相は分からないが、安生自身は勝つつもりで道場破りに行ったのは本当らしい。ただ顔面を惨めに腫らした泣き顔の写真がプロレス専門誌に出たのはまずかった。これではプロレスは総合格闘技に勝てないとの印象が強すぎて、プロレス界にとってマイナスにしかならなかった。
生で見たことは一回しかないが、安生選手自体は実にプロレス向きの良い身体をしている。格闘技志向を強く打ちだしたUWFの流れを汲むだけに、鍛え方は本格的だと思う。そこいらのマイナーな団体ではないUWFは、その点しっかりしている。
実際、安生はUインターの道場では一番強かったらしい。だがグレイシーに負けてしまった。敵地に乗り込んで、相手の道場でに試合なので、元々不利なので、その点を割り引いてもいささか腑に落ちない。
なんで道場破りなんて危ないことをしたの?
武道を掲げる道場への敵対的行為は、命がけの行為である。武道とは、極論すれば相手を殺す手段の体系化である。格闘演劇とは目指すものが違い過ぎる。異種格闘技が格闘演劇として輝くためには、武道者側にプロレスへの理解と共感が必要不可欠である。
グレイシー柔術側に、そのような理解と共感があるはずもない以上、安生は五体満足で生きて帰れただけでも幸運だったと私は考えている。おそらく、Uインターとの興行を有利に運ぶために行った行為だとの推測が一番理にかなう。
安生本人は、けっこう自身の強さに自信があったようなので、余計に惨めである。思うに安生はグレイシー柔術をスポーツ競技だと勘違いしていたのではないかと思う。
私は武道をスポーツだとは考えていない。武道とは突き詰めれば相手を如何に殺すかを極めた殺人術である。ルールとマナーにより洗練されたスポーツとは本質的に異なるものだ。
厄介なことに、武道は世間に受け入れられるため、ある程度のスポーツ化を受け入れざるを得ない。体重制とかフェイスガードと呼ばれる防具、あるいは試合時間、禁止技などは、武道をスポーツ化させるための制約である。
だが武道を本気でやっている人間にとって、それらの制約は絶対ではない。私が武道の怖さを知ったのは中学生の時だ。町道場で柔道をしていたクラスメイトから、授業では使えない技を教わり、それを我が身で受けて、その怖さを思い知った。
その時、教わったのはプロレスでいうボディスラムである。相手を抱え上げて背中からマットに落とす痛め技である。しかし、私は背中ではなく、頭頂部からマットに落された。
そのマットが高跳び用の柔らかいものであったから、私は少し首を痛めただけで済んだ。同時に彼が、私をゆっくりと落したことにも気が付いた。もし、本気で投げ落されたら、高跳び用のマットでも首の骨が折れていたかもしれないと気が付かざるを得なかった。
顔面蒼白の私が、危ねえ~と叫ぶと彼は平然と「だって、柔道は武道だから当然だよ」と答えた。別に昂ぶるでもなく、誇示する訳でもなく、静かに自明の理としてそう答える彼が本気で怖く思えた。
学校の柔道部ではなく、町の道場出身であるからこそ、柔道の怖い部分を当然のものとして彼は身に着けていたのだろう。
思うに安生選手は、スポーツの延長としてグレイシー柔術を捉えていたのだろう。だからこそ、その怖さを知らなかった。そうとしか思えない。ちなみに経歴を調べたら、NZで少年期を過ごし、日本に戻ってからも武道とは無縁のスポーツ青年であったようだ。
その時期にプロレスで活躍する高田伸彦に憧れてのUWF入りだから、ある意味仕方ないかもしれない。プロレスラーとしては、そこそこ試合が出来ているので、決して弱い選手ではない。ただ武道の怖さを知らずにいたことが、あの道場破りに繋がったのだろう。
その後、本格的に総合格闘技向けに鍛錬をしたようだが、残念ながら総合での試合成績は黒星ばかりである。プロレスラーでも総合に強い人もいるので、決してプロレスラーが弱い訳ではない。
身体的な才能には恵まれていたと思うので、多分武道家としての精神の欠如が敗因ではないかと思っている。言い換えれば、社会人としては真っ当な感覚の持ち主なのだと思う。
だって、この現代社会で武道家としての覚悟を持って生きていくなんて、それこそ異端だと思うから。まァ滅多にいませんけどね。