この映画は、トルコの映画監督であるハイリイエ・サバシュチュオール女史が製作したもので、埋もれていた日本とトルコの交流史を取り上げたものです。
1918年ロシアに捕虜として勾留され、ウラジオストックに残置されていた千人のトルコ人を故国に帰すことが日本政府に移管されました。その任を担ったのが、日本帝国海軍将校である津村中佐でした。
彼は平明丸を率いて遠く地中海まで航海しますが、トルコに着く直前、ギリシア海軍に勾留されてしまったのです。ギリシアはトルコとは犬猿の仲であり、ギリシャ政府は津村中佐にトルコ人の引き渡しを命じます。
しかし、津村中佐はそれを拒みました。次第に乏しくなる食料事情、遠い故国からの支援もないなか、与えられら使命を守り、頑としてトルコ兵の引き渡しを拒んだ態度に感銘を受けたイタリア政府の仲介で、彼らトルコ兵はイタリアへ送還され、一年後に無事トルコに帰国しています。
実は表題の映画は、東京の一部の映画館でのみ上映されていたので、ほとんどの人は知らないと思います。知られざる日本とトルコの交流史であり、もっと知られるべき話だと思います。
私見ですが、この美談が世に広まっていないのは、平明丸を率いた日本人が軍人であるからだろうと思います。日本のマスコミは、敗戦後やたらと戦争を否定し、軍隊を否定し、軍人が良いことをしても無視する傾向が顕著です。
どうも、日本には相変わらず、戦争を否定することが平和につながると思い込んでいる愚者が、相当数いるようです。しかもマスコミや教育関係者に多いことが問題です。
実際のところ、トルコ人捕虜の引き渡しを要求したギリシャ政府の背後には、イギリスやフランスなど日本の躍進に脅威を覚える思惑がありました。一方、西欧との対決を将来の課題と認識していた日本側にも、トルコを始めイスラム諸国との友好関係を推し進めたい思惑があったのも確かです。
そのような軍事的、政治的背景があったことは確かですが、だからといって平明丸事件をなかったことにする姿勢が、日本を平和にするとは到底思えません。現実問題、この映画が上映されて以降、トルコ政府はこの歴史的事件を大きく取り上げて、日本領事館前の通りの名称を変えているほどです。
日本とトルコのつながりは、エルトォール号事件だけでなく、平明丸事件でもつながっていたのです。イラクのフセインが、イラン発着の航空機を撃ち落とすと脅し、欧米各国が自国民をイランから脱出させた時、なにも出来ずに逃げ出した日本の外務省に替わって日本人を救出したのはトルコ航空でした。
イスラム圏では屈指の大国であるトルコ、イラン、インドネシアなどと地道に交流を重ねてきたことが、欧米側でありながらイスラムから一目置かれるのも、過去の実績あってのこと。
いくら津村中佐が軍人だからといって、平明丸事件を無視する日本のマスコミの報道姿勢はおかしいと思います。